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リッチランド・シティ
 ――このまま、街を出よう。

 レシプロマシンに乗っていると、そんな衝動に駆られる。
 ――全長二九四七o、乾燥重量一五四s。
 ――一二五〇〇回転のレシプロエンジン。
 ――真っ赤な複座式のフルカウルボディ。
 ジョン・ドゥの愛機は、そんな時代遅れのモンスターバイクだ。
 アクセルとブレーキ、ギアとクラッチ、ハンドルと重心移動、信号、道路標識、車間距離、ガス欠、部品の摩耗――細心の注意を払い続けながら、この巨大な鉄塊は操縦しなければいけない。
 リニアマシン全盛期におけるレシプロマシンの価値は、まさしく時代遅れの骨董品だ。
 だがしかし、たったひとつだけリニアマシンに勝る利点が存在する。
 リニアマシンは都市の路面に埋設されたコイルから動力を得、半永久的に走り続けることができる。それは逆説的に都市の外へ出ることができない――ということだ。
 レシプロマシンは、自由だ。
 不自由の代わり、たったひとつだけ自由だ。
 また、これはリニアマシンもマニュアルに切り替えれば可能なことだが――法定速度を守らざるを得ないオートマ操縦のリニアマシンを、法定以上の速度で追い抜くことができるのもマニュアル操縦のレシプロマシンの利点といえば利点だ。
「――――――」
 天蓋で覆われたドーム型多層都市=リッチランド。
 最上層を除いて空を見ることはできない。いつだって灰色の天井が見下ろしている。
 本来であれば、最上層でなくともリアルタイムでドームの外の天気を再現するはずなのだが――電力不足という建前上の理由で一〇層以下の再現機能は停止している。ここはちょうど中層と下層の境界線にあたる一〇層だ。
 仄暗い灰色=現在時刻二一時五〇分。
 高速走行用コイルの埋設された高架高速道路=リニアライン。
 標識や広告の立体映像=ポップアップとリニアマシンを爆音の速度で追い抜いていく。
 ナノマシンの集合体である都市構造体は有機的に都市を形成している。
 リッチランドの建造物に継ぎ目というものは存在しない。
 建物は、飴細工のように地面から生えており、これまた電力不足という理由で一〇層以下の建物は色を奪われている。ナノマシンの地の色=灰色が剥き出しになって、このリニアラインから見下ろす街は、まるで灰色の墓標が居並んでいるようだ。
 都市構造体を這い回る昆虫のようにポップアップが浮かんでは消える。
「――――――」
 このまま、街を出ることも、できるといえば、できる。
 最下層行きのゲートを突破できる勝率は五分五分。
 最下層まで降りることができれば、あとは新国道を突っ走るだけだ。
 レシプロマシンの速度と特性を鑑みれば、これくらいの勝率だろう――と、ジョン・ドゥは思っている。それは飽きるほど夢想した数字=何度も何度も命と自由と天秤に懸けている。
「――――仕事だ」
 ジャンクションが近付いてくる。
 ジョン・ドゥはハンドルと体重を左に傾けた。
 一〇層と九層を結ぶ都市構造体=サンシャインタワーが、その先に見える。


「Welcome to the Sunshine Tower/サンシャインタワーへようこそ」
 ポップアップを無視してレシプロマシンを道路脇に止める。
 サイドスタンドを立て、キーを抜き、サンシャインタワーを見上げる。
 サンシャインタワーは一〇層と九層を結ぶ連絡通路であると同時、上層御用達の複合娯楽施設でもある。そのため、ここだけは都市構造体に色が付いている。
 サンシャインタワーは下層であって下層ではない。
 サンシャインタワーは上層の領土なのだ。
「Welcome to the Sunshine Tower/サンシャインタワーへようこそ」
「エィメン」と、しつこいポップアップに親指で首をカッ切る動作。
 サンシャインタワーの正面玄関を素通りする。
 ジョン・ドゥのIDはプールバック・グループによって登録済みだ。
 エレベーターホールでは歪な人型のサイボーグたちがたむろしていた。
 サイボーグは二種類に大別できる。
 万能型と特化型だ。
 前者は、一般型や都市型とも呼称される極々普通のサイボーグだ。中層以上の住人の九割が延命目的でナノマシン・ボディに乗り換えている。人体を模倣したナノマシン・ボディは生殖行為も可能で、外見上も、ほとんど生身と変わりがない。
 もっとも、流行りに応じてナノマシン・セッティングを変更するのが一般的なので、手足が長かったり羽や角が生えていたり目や肌の色が違ったりするので、万能型のサイボーグも外見で見分けることができる。
 後者は、特定の機能に特化したサイボーグだ。医療特化型や情報処理特化型等々――目の前の連中は戦闘特化型だ。どいつもこいつも戦車とやり合えるような武器を呑んでいる上、ナノマシン・セッティングもパワー・スピード・タフネスを重視した設定だ。
 特化型も、ナノマシン・ボディなので変形は可能だが、元の形へ変形する速度を維持するために一定の形状を保つ必要があり、質量上の問題もあって、どうしても歪な人型にならざるを得ず、やはりサイボーグであることを外見で見分けることができる。
「よぉ、ジョン・ドゥ」
 サンシャインタワーには自動警備装置も備え付けられているが、不測の事態を考慮して、バトル・サイボーグたちを警護に充てている。かれらもプールバック・グループから派遣されているのでジョン・ドゥの同僚とも言える。
 サウラは、やたらとジョン・ドゥに絡んでくる一人だ。
「ジジィどもなら、すっきりした顔で上に帰ったところだ。よくまぁ朝から晩までヤり通しで飽きないもんだぜ、エィメン。おまえお姫様をさらいにこいよ――そうすりゃオレが相手してやるから」
「ジャンケンなら勝負してもいい」
 サウラと戦うなんて真っ平御免だった。
 サウラは、翼のように、棺桶に似た形状の余剰部分=オーバーパーツを二発背負っている。それらの正体はリニアレールカノンである――と、ジョン・ドゥは聞いている。
 バトル・サイボーグの戦闘を生で見たことはない。
 戦闘――否、殲滅の跡を見たことはある。
 ――爆撃されたかのように、街の一角が丸々吹っ飛んでいた。
「謙遜するな。おまえなら良い勝負ができるって」
「おれは記憶を奪われたジョン・ドゥだ――」
 ジョン・ドゥは本名ではない。
 ジョン・ドゥ=身元不明死体を指す俗語は便宜上の仮の名前だ。
 本名を含め、個人情報に関わる記憶は全て奪われている。
 莫大な借金の担保代わりに記憶を預けた――ということになっている。
 少なくとも、遺伝子認証式のパスに借金の記録が残っていることは事実だった。
 借金を返済するために運び屋になった――それがジョン・ドゥの現状だ。
 サウラとやり合えるくらいだったら、こんなことになっていないはずだ。
「オレに勝てたら、おまえの記憶を取り戻してやるよ」
「何度も言ってるだろ。それでも借金は消えないから全然釣り合わない。おれの一番の問題は借金だ。おれの借金を帳消しにしてくれるんだったらボクシングルールで一ラウンドだけやってもいい――それで、うちのお姫様は?」
「お姫様なら寝ているだろうよ、いつもどおりだ」
「いつもどおり、か――」
 ジョン・ドゥは、つまらなそうに言った。
 サウラは、それが本当の感情を押し殺した表情だと気付いている。
「正直に言えよ、ここにおえらいさんはいねぇんだ」
「――あぁ、まったく、エィメンだ」
 ジョン・ドゥは、忌々しげに吐き出した。
 ちょっとしたきっかけを与えるだけでジョン・ドゥの凶相は露わになる。
 ジョン・ドゥの内に秘めた激情を確認できたことでサウラはにやりと笑みを浮かべた。
 あのお姫様とヤるよりも、こいつとやり合ってみたい――と、サウラは思っている。
「オレはおまえは知っている。いつでもいい。その気になったら相手してやるぜ」
「絶対に、その気にならない」
 サウラを振り切って、ジョン・ドゥはエレベーターに乗り込んだ。


 仕事を終えたジェーン・ドゥは、いつも、まるで死体のような有り様だ。
 ベッドの上に打ち捨てられ、手足を失い、精液で汚れている。
「――――――」
 ジェーン・ドゥの手足=取り外し可能な義手義足だ。
 義手義足を取り外された状態の彼女は、ただでさえ小柄な体が一層小さくなって、しかも、こんなふうに精液で汚されていると……もしくはセクサロイドのような有り様だ。
「――――――」
 上層住人のナノマシン・ボディは何の変哲もない万能型だが、それさえも充分生身の限界を凌駕した超人の体だ。生殖機能も超人的だ。
 疲れを知らない体、即時生成される無尽蔵の精液、興奮物質関連のナノマシン・セッティングを弄っておけば性欲が低下することもない。
 ――超人たちが、生身の少女を一昼夜犯し続けた結果が、これだ。
「生きているか、ジェーン・ドゥ」
「生きているに決まってんじゃない、ジョン・ドゥ」
 お決まりのやりとり。
 ジェーン・ドゥは上層住人専用の高級娼婦だ。
 高級娼婦といえば聞こえは良いが、要するに、上層住人に陵辱されるのが仕事だ。
 毎日、毎日、毎日、犯されて、犯されて、犯され続けている。
 上層住人は下層住人を人間以下の動物かなにかと思っているようで、危険な薬物の使用によって、ジェーン・ドゥの同僚が廃人化したこともあった。お決まりのやりとりだがジョン・ドゥは本気で彼女の安否を心配していた。
「手、取って」
 ジョン・ドゥは、ベッドの横に落ちていた義手を拾い上げた。
「足はどこいった?」
「一緒に落ちていない?」
「見付からない」
「多分、服と一緒にある」
「服はどこだ――あった、足も見付かった」
 義手だけ装着を手伝うと、ジェーン・ドゥは、自分で義足を装着して、服を着始めた。
 ジョン・ドゥは、その間、煙草を吸っていた。
「――――――」
 ジェーン・ドゥは本名ではない。
 ジェーン・ドゥ=身元不明死体は便宜上の仮の名前だ。
 ジョン・ドゥと同じく、記憶を奪われ、借金を返済するために高級娼婦になった。
 ジョン・ドゥとジェーン・ドゥは同じ境遇の似た者同士だった。
「チャーハンが食べたい」
 袖を通しながら、ジェーン・ドゥが言った。
「ジョン・ドゥ、家に帰ったら、チャーハンを作って」
「またかよ、外で食ったほうが美味いぞ?」
「わたしは、ジョン・ドゥの作った、塩っ辛いチャーハンが食べたいの」
「……男の料理は、調味料が多め多めになってしまうんだよ」
「それが好きって言ってるんだからいいじゃない」
 着替え終えたジェーン・ドゥが、悪戯っぽく、ジョン・ドゥの背中に抱きついた。
 ジョン・ドゥは、ジェーン・ドゥが抱きつきやすいように腰を下ろしながら、煙草の火を消し、荷物を持ち上げた。そのままジェーン・ドゥをおぶって部屋を去る。
 ジョン・ドゥがジェーン・ドゥをおぶるのはいつものことだ。仕事を終えたばかりのジェーン・ドゥはいつも足元が覚束ないくらい体力を消耗している。体力の回復を待つという選択肢もあるが、こんな部屋に長居したくなかった。
「それとも、わたしのために作るのは嫌なの? そんなに嫌?」
「わかったわかった、家に帰ったら、チャーハンを作って差し上げますよ、お姫様」
「そうよ、わたしのほうが、ジョン・ドゥより稼いでるんだから。わたしの借金を返し終えたらジョン・ドゥの借金を肩代わりしてあげてもいいんだよ? だから……わたしの御機嫌を取っときなさい……」
 ジョン・ドゥの背中で、ジェーン・ドゥは悪戯っぽく笑おうとした。


 仄暗い、深夜のリニアライン。
 二人乗りでも、ジョン・ドゥのレシプロマシンは速度を落とさない。
 テールランプが橙色の軌跡を描く。速く、鋭く、猟犬のように。
「速く、もっと速く――――」
 ジェーン・ドゥの口癖/ジョン・ドゥがアクセルを開く。
 レシプロエンジンの回転数が増大し、次々と現れるポップアップを、法定速度で走るリニアマシンを、なにもかも圧倒的な爆音の速度で抜き去っていく。
 けれども――どんなに速くても、この街から出ることはできない。
 莫大な借金を完済するまで街に縛り付けられている――その事実は変わらない。
 速さに酔った一瞬だけ、その事実を忘れられる。
 酔いが醒める度、ジェーン・ドゥは「速く、もっと速く」繰り返す。
 ジェーン・ドゥの指が、ジョン・ドゥの太股をなぞる。
 リボルバータイプのハンドガンが収納された、ガンホルダーがぶら下がっている。
「ばーん」
 と、ジェーン・ドゥが呟いた。
 見えない鎖を撃ち抜きたい――それはジョン・ドゥも常々考えていることだ。
 あるいは――見えない鎖を引き千切って、この街から出ること。
 飽きるほど夢想した命と自由のシーソーゲーム。
 プールバック・グループは建前上、都市行政機構が巨大な都市の全層を統治することは難しいため、下層行政の民間委託を受けた人材派遣企業ということになっている。
 実際には、都市条例を無視して、暴力行為によって下層を支配/搾取している。建前と合致しているのは人材派遣企業であるという一点だけだ――バトル・サイボーグを派遣しているという意味で。
 そんなことが可能なのはリッチランド・シティの建設時にうまいことやったからだと言われている。脅迫か、癒着か。プールバック・グループのおえらいさんと都市行政機構のおえらいさんが血縁関係だったのか……
 真相は闇の中=葬り去られた過去だ。
 現在、リッチランド・シティの下層は都市行政機構から見捨てられ、プールバック・グループに牛耳られており、ジョン・ドゥとジェーン・ドゥはプールバック・グループに飼われる身で、飼い主の手を?めば殺される。
「ねぇ」
 と、ジェーン・ドゥが言った。
「海って覚えている?」
「海か……覚えてねーなー……」
 記憶を奪われた二人は「知っている」とは言わず「覚えている」という言葉を使う。
 覚えていないのか、本当に知らないのか――それは記憶を取り戻すまで分からない。
「天国では今、海の話題が流行っているんだって」
「テンゴク?」
「わたしは海を知らないから、死んでも、仲間外れにされるって……」
 ――今日の客は、ジェーン・ドゥが死んだときの話をしながら、彼女を犯した。
 ジョン・ドゥは吐き捨てるように言った。
「くだらねぇ」
「真っ赤な太陽が青い海に溶けるんだって……」
 しかし、ジェーン・ドゥは、愚痴ではなく、純粋な憧憬を口にした。
 これにはジョン・ドゥも「くだらねぇ」と言うことができなかった。
「波の音も潮風の匂いも、わたしは覚えていない……もしかしたら、わたしは本当に海へ行ったことがないかもしれない……リッチランド・シティの外に出たことがないって人も多いし……でも、わたし、空も見たいけど、海も見てみたい……」
「……海でもどこでも連れてってやるよ」
「ほんとっ?」
「レシプロマシンは、どこへでも行ける」
 そう言ってジョン・ドゥは、さらにアクセルを開いた。
 レシプロマシンが、ジョン・ドゥの意思に応えて加速する。
 続きを言うためには、速さに酔って、現実を忘れる必要があった。

「約束だよっ」
「あぁ、約束だ」


 リニアラインをインターチェンジで降りて工場街に進入する。
 深夜=工場の大半は活動を停止している。
 工場は、食料生産用のバイオプラントを始め、都市構造体だけでは賄いきれない構造を必要とする場合が多いため、都市構造体の上に建造されている。ポップアップも表示されない。歪な、完全な灰色の区画だ。
「――――――」
 廃工場の隣にある一軒家。
 かつて廃工場の主が使用していただろう、その一軒家の一階にあたるガレージをパーソナル・デバイス=PDで開門すると、ジョン・ドゥはレシプロマシンを滑り込ませた。
 ここがジョン・ドゥとジェーン・ドゥの住処だ。
 借金苦の二人の住処にしては豪勢だが、レシプロマシンを整備するための器材が揃っているという理由で、また、一人だけ住まわせるのはもったいないという理由で、プールバック・グループに二人分の住処としてここがあてがわれた。
「よっと」
 ガレージの中心に、レシプロマシンを駐めると、ジェーン・ドゥが先に飛び降りた。
 鉄と油と匂いが充満したガレージ。
 所狭しと機材が押し込まれ、本来八人乗りのリニアマシンを格納できるはずが、二人乗りのレシプロマシンを格納したらいっぱいになってしまう有り様だった。
 レシプロマシンの整備も、ジョン・ドゥが自分の手で行っている。
 ジョン・ドゥの脳髄の中に、そういう知識は残っていた。
 奪った記憶は個人情報に係わるもの――と、プールバック・グループは説明した。しかしジョン・ドゥは、レシプロマシンの多岐に渡る専門知識は、かつての自分の大切な記憶ではないかと思えてならなかった。
 レシプロエンジンの鼓動は、自分自身の心臓の鼓動と同じくらい、いや、記憶にない心臓の鼓動などよりも体に馴染んでくれる。レシプロマシンの鼓動によって全身を血液が循環し酸素が行き渡る――そんな錯覚を起こすほどに。
 真っ赤な車体は趣味的で、なんらかの意思を感じる。なんらかの意思――プールバック・グループに貸与された由来不明のレシプロマシンは、いつ、どこで、だれによって制作されたのか分からない。このレシプロマシンも過去=記憶を奪われた存在だった。
 なにか……なにか、作為的なものを覚えずにいられない。
 記憶喪失のジョン・ドゥとジェーン・ドゥ、そしてレシプロマシン。
 ――出所は同じところじゃないのか、と。
「早く早く、チャーハンを作ってくれるんでしょ!」
「はいはい、我が儘なお姫様だ――」
 ジェーン・ドゥに急かされて、ジョン・ドゥはガレージを後にした。
 一軒家の一階はガレージ、生活空間に二階にある。
 ジェーン・ドゥの後を追って、階段を上って、二階へ。
 エレベーターもあるが、ジョン・ドゥもジェーン・ドゥも滅多に使わない。階段の方が早いからだ。生身の人間の一般的な考え方だ。
 サイボーグはエレベーターはこだわる。どうして疲れない体なのにエレベーターにこだわるのか、それはジョン・ドゥやジェーン・ドゥには理解できない考え方だった。
「着替えてくる」と、ジェーン・ドゥは奥の寝室へ姿を消した。
「了解」と、ジェーン・ドゥが着替えている間にチャーハンを作ってしまうために、まずはジョン・ドゥは冷蔵庫を開けた。
 手料理は贅沢品=趣味だ。市販品を買ったほうが安いし早いし美味い。冷凍状態で保存ずれば長持ちもする。わざわざ自分で調理するなんて道楽以外の何物でもない。だから冷蔵庫に生鮮食品を入れておくということがそもそも珍しい。
「お、カニ缶残ってた」
 この瞬間、カニチャーハンに決定した。
 冷蔵庫からカニ缶と卵を取り出し、冷凍庫からライスと、チャーハン用に刻んであるネギを出すと、ライスとネギはレンジで解凍し、卵はボウルに移して、よくかき混ぜて溶き卵にする。
 シンプル・イズ・ベスト=カニチャーハンの具はカニとネギだけ。それが王道だ――と、ジョン・ドゥは信じている。あれこれ味を混ぜてしまってはもったいない。カニは、そのまま食っても美味しいくらいなのだから。
「料理は火力――っと」
 フライパンを用意/火力は最大/強火でカニとネギを軽く炒め、カニだけ、さっとボウルに移す。炒めすぎると、カニの風味が飛んでしまう。
 入れ違いに、ライスと溶き卵を投入する。かき混ぜて、ライスが黄金色になったところで、カニをフライパンに戻し、塩と胡椒を振って、フライパンの火を止める。
「一丁上がりィ」
 ジョン・ドゥが、出来上がったカニチャーハンを皿によそっていると、ほとんど下着同然の格好のジェーン・ドゥが戻ってくる。
 もっとも、ジェーン・ドゥの仕事着の方が余程扇情的だし、裸も見慣れているから、今更下着姿くらいで気にする間柄ではない。ジェーン・ドゥは出来上がったカニチャーハンを一口摘むと、
「うん、おいしい」
「……いい加減、摘み食いはやめろって」
 ジョン・ドゥは諦めた顔で言った。もちろんジェーン・ドゥは聞く耳持たない。
「ジョン・ドゥ、お酒は呑む?」
「明日早いから、少しだけ」
「そんなこと言って、わたしより呑む癖にぃ」
 ジョン・ドゥが料理を運び、ジェーン・ドゥは酒を用意/二人同時にテーブルに着く。
「いただきまーす」
「どうぞ、召し上がれ」
 ジェーン・ドゥがチャーハンを一口/酒=ビールを煽る。一息で呑みきって、
「はぁぁ、五臓六腑に染みるぅぅ」
「完璧にオッサンのセリフだぞ、それ」
「なによぉ、いいじゃない。それともジョン・ドゥはお淑やかな女性が好み?」
「絡むな、酔うの早過ぎ、一口で酔っ払ってんじゃねーよ」
 一杯目で、ジェーン・ドゥの瞳はとろけ、あと数秒で頬も赤く染まりそうな塩梅だった。
 ジョン・ドゥもチャーハンを一口/出来映えに満足/酒を呑む。
「ジョン・ドゥは料理ができる女のほうが好き?」
「今時料理できなくても困らないだろ、いつの時代の話だ」
「だったら、ジョン・ドゥはどんな髪型が好き? どんな服装が好き?」
「髪も服も本人に似合っていれば、それでいいんじゃないのか? どうしたんだ、急に」
「それ、わざと?」
「ぶっちゃけ、わざとだ」
 二人の食事のペースは同じくらいの速さだ。
 ジェーン・ドゥは女の割によく食い、よく呑む、そして、よく酔う――と、ジョン・ドゥは思っている。だれと比較してそう思うのか、それはわからない。それも奪われた記憶だ。あるいは相対的ではなく絶対的な評価かもしれない。
「エィメン! こうなったらジョン・ドゥのチャーハン、全部食ってやるっ!」
「だったらおれはおまえのチャーハンを全部食う」
「あーっ! わたしの! わたしのチャーハンを食べるなーっ!」
「だったらおれのチャーハンを返せよ」
「わたしのチャーハン! わたしのチャーハぁぁん! うわぁぁ――――ん!」
「泣きながら食うって器用だなぁ……しかも早ぇぇ……」
「うぅ、おいひいよぉ……おいひいよぉ……」
「……もう一杯呑もう」
「わたしも呑むっ!」
「まだ理性残ってたのか、つーかもう呑むな、呑み過ぎ」
「いやぁ! 呑むのっ! ジョン・ドゥが呑むならわたしも呑むのーっ!」
「はいはい……」


 酔い潰れたジェーン・ドゥをベッドに運び、シャワーを浴びて、自室へ。
 部屋は暗い。
 照明は切って、窓も、不透過状態にしている。
 暗闇の中、裸のまま、ジョン・ドゥは、ハンドガンを構えた。
「――――――」
 それは重く、巨大な、鉄の塊だった。
 両手で支えないと銃身の安定さえままならない程だ。
 ――全長三九cm。
 ――重量一六kg。
 ――装弾数六発。
 本来、生身の人間が使うようにはできていない。
 ハンドキャノンとも呼ばれる、これはサイボーグの腕力を前提としているのだ。
 しかし、ジョン・ドゥには、これが必要だった。
 バトル・サイボーグと戦闘になった場合、即死傷を与える以外、勝ち目はない。それ以外の傷は数秒で修復してしまう。たとえ心臓を撃ち抜いても、生身の人間であれば致命傷でも、バトル・サイボーグでは掠り傷同然だ。
 最も厚く頑丈な頭蓋骨を撃ち抜くことができなければ、そもそも勝ち目がないのだ。
「――――シッ」
 ジョン・ドゥは、プールバック・グループの運び屋である以上、プールバック・グループに敵対する集団・個人に襲撃されることもある。レシプロマシンに乗っていれば振り切る自信はあるが、荷物を受け取る最中など逃げられないときもある。
 そんなときは救援が駆けつけるまで、自分で自分の身を守らなければいけない。
 自衛のために、このハンドガンの習熟に長けておく必要があった。生身の人間相手ではオーバーキルでも、バトル・サイボーグが相手では、これでも必要最低限なのだ。もっと強力な火器が欲しいくらいだが、これが生身の人間の限界だった。
 しかし、それだけではなかった。
 いつの日か、なにか、なにかが起こる――
 漠然とした予感だが、自分自身の境遇の不自然さを考えると、なにか、ろくでもないことが起こるような気がしてならなかった。だからジョン・ドゥは疲れていても酔っていても毎晩、トレーニングを欠かさなかった。
「――――ッ、――――ッ、――――ッ、――――ッ」
 反復運動を繰り返す。
 型を、体に刷り込ませる。
 ハンドガンを使用した格闘術は、独学のつもりだが、これも過去の記憶なのかもしれない――と、ジョン・ドゥは疑っている。レシプロマシンの知識といい、自分に残されている記憶に、作為的なものを感じていた。
 しかし、何者かの掌の上で踊らされているのだとしても、明日を生き残るために、そして、ジェーン・ドゥを守るためにも、トレーニングを欠かすことはできなかった。
「おれたちは……」
 トレーニングを終えると、ハンドガンを放り出して、ベッドの上に倒れ込んだ。
「おれたちは……そんな関係になっちゃいけないだろ、ジェーン・ドゥ……」
 ジェーン・ドゥは、ジョン・ドゥと違って、レシプロマシンの知識もなければ、ハンドガンの扱いに長けているわけでもない。もしも、これが何者かの描いた絵であれば、ジェーン・ドゥは巻き込まれた登場人物だ――と、ジョン・ドゥは思っている。
 もしも、その時、彼女を守りたい。
 それもトレーニングを続けている理由だった。
「そんな関係になったら共倒れだ……それに、それはきっと気のせいだ……おまえはここから逃げたくて……だから、そんな勘違いをしてしまうんだ……だから……」
 ジェーン・ドゥは、いつか自由になって幸せになるべきだ――と、ジョン・ドゥは思っている。そして、その相手は自分ではなくて、もっと真っ当な人間であるべきだと思っている。自分では、釣り合いが取れない――と。
「……エィメン」
 祈りながら、ジョン・ドゥは眠りに落ちた。
 神様なんて信じていないけど。
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