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雨宿り
序章
 雨が降っている。土砂降りだ。
 雲は厚く、空は見えない。
 真っ暗闇だ。
「う、あ、あ、あ、あァアアア」
 男が一人、倒れている――と言うより、這っている――雨泥にまみれながら、血の跡を残して。
 右腕と右眼がない。
 右腕は上腕の半ばで断ち斬られて、右眼は額から頬に走る刀傷が駄目にしている。
 どちらも新しい傷で、手当てはされておらず、雨に血が固まる様子もなく――このままだと致死量に達して、死ぬだろう。
「あァアアアアアアアア、うおァアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
 だけど男に死ぬ気はない。
 死ぬ気の者が動くものか。
 死ぬ気の者が吼えるものか。
 これは雄叫びだ。命の叫びだ。
 男は、生きようとしていた。
壱章
 首を刎ねられる夢を見た。


「――――ッ!!」
 跳ね起きる。
「ふぅ……」
 不意討ちのような夢だった。
 はじめは記憶の再生だった。負け戦の記憶。俺は下っ端武士として参戦した。
 そして右腕と右眼を斬られたのだが――夢の最後の最後、俺は右腕でも右眼でもなく、首を斬られた。
 底意地の悪い夢だった。
 ――それにしても、ここはどこだ?
 俺は暗い部屋、布団に寝かされていた。
「気づいたかい?」
 蝋燭が灯るのと、声がしたのは同時だった。
 火に照らされて、若い女の姿が浮かび上がる。
 膝までありそうな長い髪が艶やかな、妖しい眼をした美女だった。
「あンたが、俺を、助けてくれたの、か?」
「ああ、そうさ。重い身体引きずるのは骨だったけどね。なに、遠慮はいらんよ」
「……かたじけねェ」
「だから、遠慮はいらんと言ったろう?頭を上げい」
 そう言って、女は笑った。
 言葉遣いといい、涼しげな外見に違う、朗らかな笑みだった。
「食う物を持って来よう。上等なものは出せないから、期待はするなよ?」
 と、女は奥へと行ってしまった。
 一人、残される。
「ふぅ……」
 ――とりあえず、助かった、か。
 なんとはなしに、首をさする。
 ――ン?
 もちろん、首を刎ねられた痕などない。
 その代わり記憶にない、二つ牙に噛まれたような、不思議な傷痕があった。


 女が戻るを待つ。

 ザァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――

 雨音が聞こえる。土砂降りだろう。
 光は射さず、まだ夜か。
 暗い部屋を照らすのは蝋燭だけ。
 俺がいるのは部屋の中央。
 蝋燭は五本――部屋の四隅と俺のそばに一本ずつ。灯されているのは俺の一本だけ。
 奥になにか、大きな影が見る。が、明かりが弱くてよく見えない。
「気になるかい?」
 いつの間にか、女が戻っていた。
「灯りを点けようか」
 言うが順に部屋の四隅を回って、火を点ける。
 だんだんと部屋が照らされ、影が明らかになる。
「こいつァ……」
「ふふン、いい出来だろう?あたしが彫ったのさ」
 影の正体は人より大きな仏像だった。だが、その名が思い浮かばない。
 憤怒の表情と、それぞれに武器を携えた数多の腕。
 武器はすべて本物だ。大太刀、小太刀、打刀、脇差、薙刀、槍、弓、棍棒、手裏剣、その他諸々――すべて、手入れがされている。
 これは仏と言うより武神――鬼神のほうがしっくり来る。
「あたしを模ったものでね」
「は?」
 ――この女を、模った?これが?
「似てるだろう?」
 俺の間抜けな表情がおかしかったか、女は肩を震わせて笑う。よく笑う女だ。
「ふふふ。――ああ、鍋を今、温めているから、先にこれだけやらないかい?」
 と差し出したその手には酒瓶と猪口。
 是非もない。
「もちろん、やろう」
「そうそう、そう来なくちゃあ、ね」


 それは赤黒い色をした酒だった。
 猪口を火にかざしても、光を吸うように暗い色をしている。
 一口、舐める。
 ――知らねェ味だァな。
 酸味の効いた――鉄のような味。刀を舐めると似たような味だ。
 もう一口。今度は、多めに。
「どうだい?」
 空いた猪口に酒を注ぎながら、女が問う。
「美味い、な」
「それは良かった。手製でね、不味くないか心配だったのよ」
「ほぉ、手製か。いい腕だ。なにで造った?」
 気になる。
 しかし女は悪戯気に笑って、
「ひ、み、つ」
 と答えた。
 言いたくてしょうがない、けど言わない――そんな風に。
 後でも聞けるだろう。俺はそれ以上の詮索を止めた。
 雨音を聞きながら、酒を味わう。
 四杯目を飲み干して、そこで聞いてみた。
「ところで、ここはどこだ?」
 ――そう、まだこの疑問が明かされていない。
「あたしの家よ」
「他の者は?」
「いない。あたし一人」
「無用心だァな」
「そうでもなくて、ね」
 と、女は間を置いた。秘密を教える前のように。
「この森には鬼が出るからねぇ、だァれも近寄らないの」
「鬼、か」
「そう、鬼。そしてその鬼とは……あたしなのさ!」

 沈黙。

「ふふ、ふ、ふはははははははははははははははは!!」
「あはははははははははははははははは!!」
 笑う。
 床に手を付いて笑う。片腕だから姿勢を崩して、そのまま倒れてしまいそうだ。
「ふはは、鬼か!あンたが、鬼か!はははははははは!」
「あははは、そうさ、あたしが鬼なのさ!はははははははは!」
 おかしくてしょうがない。
 先の仏像の件は、これの前置きか!
 この女が鬼なら、俺はなんだ?
 有り得ないことを言ってくれる。
「ふはははははははは、はは、はははは、はぁ……」
「あはは、はぁ……ひどいね、そんなに笑って」
「いやァ、失礼した」
 ようやく、笑いの衝動は治まった。
 女も落ち着いたようで、
「ふふふ。――ちょうどいい、そろそろ鍋も出来ているだろうよ」
 今度は鍋を取りにか立ち上がる。
「なに、あの酒を美味いと言ったんだ。鍋も気に入るさ」


 鈍い音を立てて、大きな鍋が置かれる。
 女がその蓋を開けた。盛大に湯気が立ち昇る。
 ――最初、その塊がなんなのか分からなかった。
「まず、皮を剥いでね。上手くやると、肉ごと取れるから。ここの肉は不味くてね、取ってしまったほうがいいんだよ」
 肉の塊。
 でこぼこした、肉の塊。
 黒い毛が残った、肉の塊。
「骨は、罅に沿ってこう、するとね。きれいに割れるんだ」
 戦場で見た気がする。
 これと似たかたち。
 これと同じかたち。
「中身はなかなか美味くてね。なに、あの酒を美味いと言ったんだ、きっと気に入るさ」
 分かった。
 なぜ、分からなかったか。
 分かりたくなかった。
 分かってしまった。
 そうだ、これは――
「てめェ……」
「ン?」
 俺の怒気を孕んだ声に、嬉々として反応する女。
 ――なにがおかしい!?
 女の顔は笑っている。
 朗らかな笑みは消え、その外見に似合う、妖しげな笑みだ。
 口の端を微かに持ち上げ、舐めるような眼を向けて来る。
 ――こっちが本性か。
「どういう、つもりだ」
 鍋の中身は――人の首だった。
 戦場に転がるのと同じ、刎ね飛ばされた人の首。
 それとすぐに分からなかったのは、煮崩れていたからだ。
 どろどろに煮崩れた、人の首。
 男か女か。老いか若いか。判別が付かないまで煮崩れた、人の首だ。
 それが、鍋の中に転がっている。
 冗談では済まされない。
 返答次第じゃあ――殺すべきだ。
 俺の中に湧き上がったのは、怒りよりも、恐怖。
 ――これは人の所業ではない。
「どういうもなにも――喰うのさ」
 俺が堪えられたのは、そこまで。
 恐怖が割れて、殺意が迸った。
弐章
 ――殺す。
 刀がなくても人は殺せる。
 刀とは鈍重な鉄の塊。それを自在に振るう武士の身体も凶器。
 決意すれば、人を殺せる。
 ――この女は、殺す!
 座した姿勢から跳ぶ。
 鍋を蹴散らして、最短で女を狙う。
 煮崩れた首が床を転がる。
 ――殺される前に、殺す!
 鍋の蓋を横に正座する女に向かって、拳を打ち下ろす。右腕はない、左の拳だ。
 狙うは顔のど真ん中、鼻っ柱。鼻骨から顔面を潰すつもりだ。情け容赦は必要ない――煮崩れた首――そんなもの、俺が殺されるだけだ!
 が、拳は女まで届かなかった。
「――――ッ!?」
 息が詰まる。
 拳は女の鼻先で止まっている。
 俺の意思で止めたのではない――なにかに止められたのだ。
「そう、急かすんじゃあないよ」
 女がせせら笑う。
「馳走が台無しじゃあないかえ?」
 俺の全身に『黒』が絡みついて、女の目前で宙吊りにされる。これが俺の動きを止めたのだ。
 絡みついた『黒』は皮膚を裂き、肉にまで喰い込んでいる。
 黒い蜘蛛の糸――そんな感じの物だ。それが四方八方から伸びて来ているのだ。
 ――なんだ、これは!?どこから――!?
 闇中から『黒』は伸びている。
 もがきながらその本を探るが、見えない。『黒』は闇と紛れてしまっている。
 諦めて視線を女に戻して――異状に気づいた。
 ――髪が伸びている!
 女の髪が、明らかに伸びている。
 もともと膝まである、長い髪だった。
 それが今、端が見えないまで伸びている。
「てめェ……何者だ」
 もがき続けながら、問う。
 『黒』が女の髪だとして――この状況はやばい。
 裂けたところから滴る血が『黒』を伝う。これには人の身体を裂くに足る強度がある――脱け出せるか!?
 焦る俺を余裕たっぷりに眺めながら、女は答えた。
「言ったろう――あたしは鬼」
 正座から立ち上がり、続ける。
「人の血を啜り、人の肉を喰らう鬼さ――あンたもね」
 『黒』の拘束は固く、逃れられそうにない。
 俺の生殺与奪は、鬼を称する女の手中にあった。


 口汚く罵りたいのを堪えて、女に言い返す。
「……俺は、人だ。鬼じゃあねェ」
 『黒』が女の髪かは信じ難いが、女の意にあるのは確かだ。下手なことは言え ねェ――殺される。
「いいや、あンたは鬼。もう、人じゃあない」
 そんな俺の心中を知ってか知らずか――知っているのだろう――女は優雅な足取りで俺に近づく。
 離れたい――反射的に身じろぎするが、絡みついた『黒』が軋むだけだ。離れられるはずもない。
 女と俺の距離は、すぐに詰まった。
「そんな、嫌がらないで?取って喰おうってわけじゃあないんだから」
 言って、女は自分の言葉に笑った。
 俺は笑えない。
 ――冗談になってねェ。
「ふふふ。ねぇ、あンた?首筋に噛み痕があるだろう?」
 女の手が、俺の頬に触れる。
 頬から首へと、手のひらは流れて伝う。
「ほら、ここ」
 女の手は、首筋の傷痕で止まった――二つ牙に噛まれたような、傷痕。
「それが、どうした。虫にでも噛まれたんだろう」
「虫なら良かったんだろうがねぇ」
「…………」
「あンたを噛んだのは、あ、た、し」
 発音を強調したとき、口元から牙が覗いた。
 首筋の傷痕と合致するような、長く、鋭い牙が。
「あたしが噛んだの。――この意味が分かる?」
「なにが言いたい」
「あンたは呪われたのよ」
 満面の笑み。
 眼には狂気が。口には狂喜が。
 邪笑そのものといった笑みが、女の顔に浮かんでいた。
 ――狂っている。
「鬼に噛まれた人は鬼になるのよ。あンたの魂は呪われた。あンたはもう、人じゃあない。鬼よ」
「鬼なんて、信じられるか」
 鬼と呼ばれる武将を斬った。
 鬼と名乗る山賊を斬った。
 そのすべてが人だった。
 信じられるか。
「あははは、まだそんなことを言うのか!あはははははははははははははははは!!」
 女は腹を抱えて笑い出した。
「――こんなことが人に出来るか!?」
 女の髪が波打ち、俺の身体を縛る『黒』が高く俺を吊り上げ――叩き落とした。
 背中を強かに打つ。
「がはァッ!?」
「あはははははははは、いい様だ!まだあるぞ、教えてやろう――おまえが飲んだは酒ではない!人の血だ!おまえは人の血を美味いと言って、人の血に酔ったのさ!」
 『黒』――もとい女の髪に動きを封じられ、床に這いつくばることも許されず、俺は仰向けから首だけを上げる。
「なん、だと?」
 ――あの酒が、人の血だと!?
「思い出せ、血の味を!どうだった?どうだった?美味かっただろう?」
 赤黒い色をした酒。
 赤黒い色。
 ――血の色だ。
「違う……あれは……俺は……違う…………ッ!」
 俺は血を美味いと言ったのか?
 俺は血に酔ったのか?
 混乱する俺に、女は止めを刺す。
 それは、止めの言葉。
「ああ、そうだ、もう一つ思い出した――」

「あンたは一度、死んでるんだよ」


 思い出す。
 女の言葉と、止まない雨音が思い出させる。

 ザァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――

 雨は降り続けていた。相変わらず土砂降りだ。
 俺は倒れていた――雨泥より色濃く濁った、血溜まりの中で。
 右腕と右眼がない。
 右腕は上腕の半ばで断ち斬られて、右眼は額から頬に走る刀傷が駄目にしている。
 出血は止まっていた。治ったのではない――血がないのだ。出尽きて、もう、血がないのだ。
 手当てをする余裕はなかった。
 そんな余裕があれば、負け戦になどなるものか。
 俺は戦場から逃れ、そして今、森中に倒れていた。

 背中を刀が貫いた。

 突然の灼熱と異物感が俺を襲う。
「ぐあァアアア!?」
 搾り出すように声が漏れた。
 大太刀が俺の背から腹までを貫いていた。まだこんなに残っていたかと思うほどの血が、腹に出来た穴から溢れる。
 どうしようもない致命傷だった。
 臓物を斬り裂かれ、腹には穴、血は足りない――どうしようもない。
「ふん、雑兵か」
「あれ、刀も持ってねェぜ、こいつ」
「なんだ、まったくの無駄骨か」
「ついてねェな、くそ」
 背後から声が聞こえた。
 複数の声が、俺を見下ろすように。
「―――ら、行くぞ」
「お―、――――ても、金目のも――」
「――、む―――――――」
「――――」
「――――」
 だんだんと声は離れて行く。
 遠くなるのは声の主たちか、俺の耳か。
 ついに声は聞こえなくなった。
 雨音も聞こえなくなった。
 なにも聞こえなくなった。
 なにも感じなくなった。
 なにも――


 早い話が、これは落ち武者狩り。
 俺に運がなかっただけ。
 追っ手に見つかった敗走の兵の末路ってやつだ。
 こうして俺は死んだ――殺された。
 文字通り、止めを刺されて。
 なのに――
「なんで俺は生きている……!?」
 死んだのではないか?
 殺されたのではないか?
 止めを刺されたのではないか?
 混乱が深まる。
「思い出したかい?なに、簡単なことだ。人なら死ぬだろうが、鬼は死なぬ――あたしはあンたの命を救ったんだよう?」
 女の言葉は、ひどく寒々しく聞こえた。救ったという言葉が、ひどく寒々しい。
「ほれ、自分で見な」
 と、身体の拘束が弛んだ。
 俺の身体を縛っていた髪が解けて縮んで――女の髪はもとの膝までの長さまで帰った。
 まさかの解放である。望んではいたが、叶うとは思っていなかった。
 いつもの俺なら女にかかって行くか、逃げるか、動いただろう。だけど今、俺は己の死に様を思い出してしまった――確認せずにはいられない。
 俺は起き上がると、着物の前をはだけて、自分の腹を見た。そこには傷痕があった。
 大きな大きな傷痕だ。傷口が開いていれば、拳が入っただろう。
 背中をさすった――背中にも傷痕はあった。やはり大太刀は貫通していたのだ。
 一晩で治るような傷ではない。いや、治るような傷か?
 腕がそのまま出入り出来るような空洞が、ここにはあったのだ。致命傷以外の何物でもない。
 それが、治っている。
 人の身体のなすところではない。
「納得したかい?あンたの身体は、もう、人じゃあない。鬼よ」
 女の顔から狂気が消えて、最初に見た落ち着いた笑顔が戻っていた。
 俺は頷くしかない。
 信じられないが、おかしなことが起こっているのは確かだ。
 考えを切り替えよう――女の狙いはなんだ?俺は生きている。それでなにが悪い?なにが不都合か?問題は女の目的だ。一度は捕らえた俺を放した、その真意は――?
「実は、お願いがあるんだけどね」
 ――来た!これで女の目的が分かる!
 俺は固唾を飲んで女の言葉を待った。一言一句、聞き逃さないつもりで。
 それでも、女の言葉に俺は耳を疑った。
「あたしを殺して欲しいんだ」
 女の顔は笑っていた。朗らかに。明るく。
 想いを打ち明けるように。
 それを心から望んでいるという風に。
 期待に満ちた、晴れやかな笑顔だった。


 ――厄介なことに巻き込まれた。
 ことごとくこの女は俺を混乱させる。あのまま死んでいたほうが楽だったのかも知れねェなぁ――そんな思いが頭をよぎる。
「俺に介錯を頼むと言うのか?」
 命を――鬼が、呪いが、色々と問題はあるが――救った相手に介錯を頼むというのは理解出来ない、が。
「あはは、違う違う。言葉が足りなかったね――しゃんと殺し合って欲しいんだ」
 ますます分からない。
 命を救った相手と命を奪い合いたい――女はそう言っているのだ。道理に合わない。
「どういう理屈だ?」
 はだけた着物を直しながら聞く。
 身体はいつでも動かせるように。女の髪にも注意する。
「あたしも長い間生き過ぎてね――ああ、鬼というのは不老不死なのよ」
「ふむ」
 話を促す。あえて話の真偽は問わない。重要なのは女の真意だ。
「あれ、不老不死については聞かないのかい?」
「聞いたところで確かめられることでもねェだろう」
「つれないねぇ。昔語りの一つ二つしてやろうと思ったのに」
「聞きたくねェな」
「ふふ、まぁいいか。――で、だ。長く生き過ぎて、生きることに飽きてしまったのよ」
 ――はァ?
「飽きるようなことか?」
 不老不死なんて、夢のような話だろうが。
「長い間、独りだったからねぇ。いい加減、飽きるってものさ。鬼になると手当たり次第人を喰いたくなるからね、そんなことするわけに行かないだろう?人里離れたここに住むようになったのよ」
 女は肩を竦めてみせた。
 馬鹿馬鹿しい。信じるに値しない話だ。
 それに――
 転がったままの首をしゃくって、
「喰ってるじゃねェか、ほれ」
 と、指摘してやる。
 ――女はあの首を喰わせようとしたのだ。
「あれはあンたみたいに、偶に迷い込んだ輩さ。あンたも負けたらああなるよ?」
「ほォ」
 これは分かり易く、信じられる話だ。負けたら喰われる。
 身体の緊張が高まる。
「で、なんで殺し合いたい、だ?」
 俺の問いに、よくぞ聞いてくれたとばかりに――その通りなのだろう――女は頷いて、
「満足して死ぬためさ」
 と言った。
「鬼は不老不死なんじゃねェのか。死ぬのはおかしいだろ?」
「殺すことは出来るさ。正しくは不老不死じゃなくて不老長寿と言うのかな――寿命があるかどうか分からないけど」
 不老不死、不老長寿――どちらも信じられねェなぁ。
「話をまとめるよ?あたしは生きるのに飽きた。満足して死にたい。そのためには、満足の行く殺し合い――どう足掻いても死ぬしかないっていう絶望的な死に様がいいのよ」
 満足の行く殺し合い。
 その言葉が、俺の中で共鳴した。
 ああ、急に分かってきた――
「戦場で死にたい、ってことだァな?」
 武士ならそう思うやつは多い。かく言う俺もその一人だ。
 天寿を全う出来るなんて思っちゃいねェ。病で死ぬような間抜けは嫌だ。望むは討ち死に、満足の行く殺し合い――それなら諦められる。死んでも納得出来る。そういうものなのだ、武士というのは。
 人斬り稼業だ、殺される覚悟は出来ているが、理想的な殺され方というものがある。
 理解を示した俺に、女は最後の問い掛けをする。
「武士ならそう言うのかな?さて、どうする?あたしを殺してくれるかい?」
 考えるまでもない。
「それしか俺が生き残る手はないんだろう?――いいだろう、ブッ殺してやる。鬼だろうがなんだろうが完膚無きまでブチ殺してくれる」
 殺伐とした俺の返事に。
 女は、色好い返事をもらったように。
 本懐を聞き届けられたという風に。
 今度こその最高の笑顔に、俺は一瞬、見惚れてしまった。
 ――こんな出会いでなければ、なぁ。
 この期に及んで、しょうもない考えが頭をよぎった。
参章
 件の仏像――鬼神像から次々に得物を抜き取り、縦横に振り回す。
 今なら理解出来る。この像は確かに女を模ったものだ。
「好きなのを選ぶがいい。あたしが今までに喰ったやつらの持ち物だ」
 それが本当なら、今まで何人喰ったんだ――数えることはしないで、刀の具合に集中する。俺の命を預けるやつらだ、不具合は許されない。
 刀というのは消耗品だ。この刀でないと満足に振るえない、なんて言うのは道場から出たことがない間抜けだ。どの刀でも自由に、自在に――それが戦場を生きる武士だ。
「片手で闘えるんだ?」
 検品する俺に、女が聞いた。
「闘える。片方の腕を折ったりしても、戦場で待ったはないからな」
「片目でも?」
「闘える。どんなときでも闘える」
「ふぅん、凄いねぇ。大したものだよ」
「そりゃどうも」
 闘えるか闘えないか、じゃあない。闘うか死ぬかの二択なのだ。俺は、闘う。
 ――闘って、殺して、生き残ってやる。
 次々と刀を調べる。
 どの刀も手入れは充分にされていた。
 あとは癖の好みだけで選べばいい。
 大太刀を一本、打刀を一本選んで腰に差す。
 そしてまだ選び続ける――振りをする。
 横目に女を見る。
「ン?」
 女は首を傾げてみせた。まだ闘いは始まっていないものだと油断している。
 俺は槍を手に取る。
 女の位置は確認した。
 ――油断しているほうが悪ィンだよ。
 俺は振り向きざま、槍を全力で――投げた。
「な――!?」
 女の顔に初めて驚きの色が浮かんだ。
 槍は女目がけて飛んで行く。
 同時に俺は太刀を抜いて駆け出す。が――
 女は髪で槍を払うと、壁まで一気に飛び退いた。
 俺の刀は振り下ろす先を失った。
 髪を揺らめかせながら、女が声を張り上げる。
「いきなりとは卑怯者!――ふふ、だけど、いいねぇ、そのなりふり構わない殺意!」
「そりゃどうも」 
 ――さぁて、どうしようかな。
 殺し合いが始まった。


 女の髪が拡がり始めた。
 蜘蛛の巣のような光景だった。
 かと言って女そのものは蜘蛛ではない。例えるなら凧だろう。髪が凧糸のように女の身体を手繰るのだ。
 先に女が壁まで飛び退いたのも、脚力による動きではない。まず髪が壁まで伸びて、そして女の身体を引っ張った。
 恐るべき速さだ。槍が投げられてから動いて、間に合った。槍の投擲より速いということだ。
 ――それでも俺の剣のが速ェ。
 近づければ勝てる。逃がさず斬る自信がある。
 ――問題はどうやって近づくか、だ。
 女が飛び退いた際、中央の蝋燭台が倒されていた。女の髪か身体かが当たったのだろう。今は燻っているだけだが、いずれ盛大な火になる。
「どうした。威勢がいいのは最初だけで、来ないのかい?」
 女が嘲る。
「ふン、ンなわけねェだろ」
 女の言う通り、こちらから攻めなきゃ駄目だ。
 女の髪は遠くから当てられる。が、俺の刀は近づかなければ当てられない。
「据膳喰わぬは男の恥ってな――行くぞ!」
 女に向かって走り出す。
 俺の背後には鬼神像、火を挟んで反対側の壁際に女という位置。最短、真っ直ぐ――火の上を走る道筋を選ぶ。
 右手から――腕がないほうから女の髪が迫る。それで不利を突いたつもりか!
「むン!」 
 労せず斬り払う。走りは止まらない。
 ――今、俺の足元は煙に隠れて見えねェはず。
 足元の物を蹴飛ばす。
 首だ。転がったままの首を蹴飛ばしたのだ。
 狙い通り、女目がけて首は飛んで行く。が――
「バレてンのよ、それくらい!」
 女に隙を作るための一撃は女の髪に絡め取られ――押し潰された。
「嘗めるンじゃあないよ、こんな手が通用するほど弱くはないわ!」
「ちィ――!」
 思わず足を止めてしまう。
 想像以上の女の力だった。
 ――これほど強力なのか。
 女の髪の隙間から、脳味噌が滴り落ちる。
「不意を討てば、近づけば、勝てる――なんて思ってないだろうねぇ?」
 図星だった。
「そんな甘い考えなら改めなさいな。すぐに殺す、いいえ、生きたまま喰ってやるわ」
 女は髪を戻した。
 すぐにもとの長さになる。
 ――なにを企んでいる?
 そんなことしても有利は何一つないはず。
 迷う俺を、女は
「どうした、来ないのかい?思い知らせてあげる、あンたの相手は鬼だって、ね」
 と手招きして、誘った。
 ――いいだろう、乗ってやる。
 一歩一歩、女に近づく。女が騙し討ちを企てても反応出来るように、ゆっくりと。
 火の音が背後から聞こえる。床が本格的に燃え始めたのだろう。
 結局、騙し討ちはなかった。太刀が届く距離になっても、女はにやついたまま。
 そこで立ち止まる。
「ふざけてンのか?」
「これで勝てると思ってる、あンたがね」
「あっけなく死にてェか?」
「そんなんで殺せるつもり?」
「分かってねェようだな」
「分かってないようねぇ」
「刀は届くぜ」
「あたしは鬼よ」
「そいつを――」
「それを――」

「「思い知らせてやる!」」

 声と――攻撃が重なった。
 剣戟の音が響く。
 俺の太刀は受け止められていた――女の爪によって。
「なにィ――!?」
 女の爪も、髪のように伸びていた。
 太刀と伸びた爪とが鍔迫り合う。
「言ったろう、あたしは鬼だって」
「隠し手たァ、どっちが卑怯者だ」
 鍔迫り合ったまま、太刀越しに女と睨み合う。
「あンたもやればいいじゃない」
「出来るか、ンなこと」
「出来るさ、鬼だもの」
「抜かせ!」
 怒声と共に、女を弾く。
 間は開かない、まだ太刀先の内だ。
「俺は人だ!」
 距離を取らせる愚は犯さない。
 俺が闘えるのはこの距離だけだ。
「おォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
 気合、そして再度の剣撃。
 ――退くものか、逃すものか、これは俺の距離だ、ここが俺の戦場だ!
 ここで殺せなければ、俺に勝ち目はない。


 一合二合三合四合、太刀と爪が斬り結ぶ。
 七まで数えたところで女の胴に隙を見出し、横薙ぎの一閃を放った。当たれば女の身体を両断する、そういう太刀筋だ。
 受けるには遅すぎるこの一太刀を、女は下へ避けた。床へ伸ばした髪が、しゃがむより速く女の身体を下へと引っ張る。
 這いつくばった姿勢から、女が爪を突き上げる。五指を揃え、伸ばした爪は諸刃の剣のよう。爪先が狙うは俺の顎下、頭蓋を貫くつもりか。
 見切り、首を横へ反らして、こちらも女を刺し貫かんと太刀先を突き下ろす。
 両者の刺突が交差する――女の爪は俺の頬を掠めて、俺の太刀は女の着物を斬って床に刺さった。
 刺さった太刀を手放すと、俺は予備の刀――腰に差した打刀を抜き放つ。
 それを女は交差した爪で受け、勢いを利用して横へ飛び退いた。
 ――逃して、しまった。
「惜しいねぇ」
 立ち上がり、女が笑う。
「けど、人に鬼は倒せない。人のまま鬼は倒せない。鬼を倒せるのは鬼だけ――さっさと自覚しな、自分が鬼だって」
「知るか、ンなこと」
 俺は女が鬼というのは信じたが、自分が鬼だというのは信じてない。
 有り得ない回復を示した俺の身体だが、だから鬼と言うのは話が飛躍し過ぎだ。
「俺には髪を伸ばしたり爪を伸ばしたり出来ねェぞ」
 苛立ち紛れの言葉を吐いた。
 ――殺せなかった。あの間合いで、殺せなかった。
「出来るなら真似してェところだ」
「ああ、それは無理。あンたの力はあたしと違うはずよ。あたし、ね。まだこんなに小さい頃ね、」
 と女は胸のあたりで手を計って見せて、
「親を殺したんだ。下衆な親父をね。この爪で眼玉を突いて、この髪で首を絞めた。まだあたしが鬼になる前の話だよ。あたしもあンたと同じ、噛まれて呪われたクチさ」
「胸糞悪い話だな」
「昔の話さ。――で、だ。鬼はね、身体を意のままに操れるんだ。本人が強く信じている部位をね。あたしの場合は髪と爪だった。さぁ、あンたはなにを信じている?」
「なにを言っているのかよく、分からんが――」
 言って、刀の切っ先を女に突きつける。
「俺が信じているのは刀だけだ。俺にはこいつしかねェよ」
 ――そうだ、こいつだけでなんとかするしかねェ。斬り開け。
「そうかい、刀かい。じゃあ、その刀が通用するか、お手並み拝見と行こうか」
 か、の音は聞こえなかった。女の髪のざわめきにかき消される。女の姿が消える。
 ――上だ!
 勘とも予測とも自覚のないまま、上を見る。――と同時に後ろに飛び退く。敵の姿が見えぬまま、同じところに止まるのは得策ではない。
 女は姿は天井に張り付いていた。柱という柱に髪を伸ばして、蜘蛛の巣そのものだ。
 そして――黒い雨が降った。
「こォの――――!」
 飛び退いた意味はなかった。部屋全体が女の髪の届く内だ。部屋中のいたるところに女の髪が降り注ぐ。黒い滝のようだ。それを刀を振り回して片っ端から斬り払う。打刀だから太刀よりは振り易いが――これではきりがない。女の髪は無限に伸びるようだった。不思議なことに斬った髪は霞と消えたが、それがこの状況に働くではない。ひたすらにひたすらに刀を振り回すのみ。
 ひたすらにひたすらに刀を振るう刀を振るう振るう振るう振るう振るう――――
「てめェはこんなつまらぬ闘いを望んでンのか!?」
 吠える。
 女を挑発する。
 ここからでは刀は届かない。このまま力尽きれば――そこまで考えたところで、女の髪がやんだ。
「そうだねぇ、火も燃え出したし、さっさと終わらせようか」
 女は俺の挑発に応じたと言うより、本格的に床を燃やし始めた火を意識したものだった。
 やんだ髪の向こう、炎が見える。それまで髪に遮られていた煙もこっちに流れて来た。倒れた蝋燭の火は、いつの間にか勢いづいていた。
 考える。火を気にした、住処を気にしたということは――
「あンたの刀もたいしたことないね。あの程度で音を上げるようじゃあ、あたしの身体にも触れられないよ。所詮は人の刀か……。あンたも、あたしを殺してくれないのね」
 女は生き残ることを、俺を殺すことを確信していた。
 その声は悲しそうで。
 それが癪に障った。あるいは、恐怖を隠すための怒りか。
 殺せない、殺されるという恐怖――それは、言い換えれば絶望だ。
 俺は、絶望を感じてしまった。


「あンたにあたしは殺せない。人に鬼は殺せない。刀が力と言うから期待したけれど、全然駄目。力押しでも挫けてしまう。もういいわ、人のまま死んで頂戴な」
 まるで恋に破れた乙女の言葉。
 歌うように。
 悲しみが込められて。
 そして歌い終えると。
 女は天井から降って来た。弓に弾かれた矢のように。髪がなびいて、爪が煌めく。
 剣戟の音が響く。
「ぐゥウウウウウウウウ!!」
 呻く。
 女の空からの襲撃を、打刀一本で受け止め耐える。
 衝撃に刀身が歪んだ。
 足が地滑りを起こす。
 女が着地する。
 刀と爪が離れる。
 歪んで使い物にならなくなった刀を返して、峰で女を打つ。
 力任せの一撃に、受け止めた女の身体が後退する。
 その間に床に刺さった太刀へと飛ぶ。
 そうはさせじと、俺の脚を狙って女の髪が走る。
 打刀を身代わりに放る。髪は刀に巻きついて、さらに刀身を歪めた。
 太刀の柄に手を掛ける。飛びつく勢いを利用して床から引き抜く。
 太刀を手に床を転がり、跳ね起きざま女と正対する。
 炎を背に女は髪を拡げ、爪を広げて――一瞬、巣の上に立つ十本足の蜘蛛を錯視してしまった。
 絶望感が甦りそうになるのを、殺意で塗り潰す。殺意ですべての負の感情を塗り潰す。
 構えるとカチリ、と鍔鳴りした。刀身の固定が弛んでいる証だ、この太刀も長くは持たない。
 ――長引くような闘いじゃあねェか。
 俺と女、両者同時に間を詰める。
 間を詰めながらも女の髪は襲って来る。
 そのすべてを斬り開く。
 俺の間合いの内に女が入った。
 怒濤の剣撃を浴びせる。
 女の方が手数が多い、力押しするしかない――左腕一本で。
 女も不利有利を悟っているようで、速さに重さを置いた攻撃を繰り出し来る。
 十の太刀を相手にするような爪と、四方八方から押し寄せる髪の波。
 髪を優先して斬り落として、爪は薄皮一重で避け――切れないで全身に次々と赤い爪痕が刻まれるが、構いやしねェ。髪に絡み取られたら万事休す、成す術もなく今度こそ殺される。締め潰されるか、斬り殺されるか、それとも――本当に、生きたまま喰われるか。
 二度目の剣戟の嵐。だが女の言う通り、俺は無数の傷を負うのに対して、女は無傷のままだ。埒が明かないどころの話ではない、こっちが負けている。
 ――やるしかねェ。
 覚悟を決める。伸るか反るか――ままよ!
 俺は女の爪の軌道を見極め――自ら刺さりに行った。
「――――ッ!!」
 食い縛った歯から声は漏れない。
 右脚の腿を、女の左手中指の爪一本だけが貫く。――捕らえた!
 腿の筋肉に力を込めて、爪が抜けないようにする。
 女の動きが止まる。かつてない隙だ。
 ――喰らえ!
 そこに太刀を突き出す。太刀は見事に、女の腹を貫いた。切っ先が女の背から突き出る。
 闘いが止まる。が――
「惜しいねェ」
 女の声がした。
 腹を貫かれた女が、嬉しそうな声を上げた。
「ふふふ、今度は本当の本当に惜しかったよ。けど、忘れたのかい?自分の身体を?腹を貫かれたくらいじゃあ鬼は死なないンだよ?」
 女の顔が、俺のほうを真っ直ぐに向いた。伸びた髪に遮られて顔は見えないが、爛々とした眼だけは見えた。
 空いている右手が掲げられ、五指が揃えられる。
「さぁ、刀は封じられた。足は貫かれて逃げることは出来ない。文字通り打つ手なしだ。どうする?どうする?」
「……怪物め」
「それが最期の言葉かい?じゃあ――さようならだ」
 女の右手が振り下ろされた。
四章
 打つ手なしの状況で。
 それでも俺の頭ン中は、狂おしいまでの殺意に占められていた。
 極限まで高まった狂気は、有り得ない選択肢を掴み取る。人外の手段を執り行う。
「え――――?」
 女の右腕が刎ね飛ばされた。
 肘から先が、血の弧を描いて飛ぶ。
 ぼとりと落ちるに至っても、女は呆然としていた。
「なるほど、こういうことか」
 女とは逆に俺は合点が行った顔で、まじまじと刀を見る。あるはずのない、三本目の刀。これが女の右腕を刎ね飛ばしたのだ。
「やってみれば当然のことだァな。なんで今まで出来なかったんだ、ってなくらいに。なるほど、これが鬼ということか。ふン、確かに俺も鬼のようだな」
「土壇場で目覚めるなんて、都合のいい男だねぇ……」
「嬉しいだろう?」
「もちろん。素敵な成り行きだよ」
「照れるねぇ」
「もっとそいつを味わせておくれ」
「俺も早く貴様に突き立てたいよ」
「さぁ――」
「再び――」

「「殺し合おうぞ!」」


 あるはずのない刀。
 この刀は、俺の身体より生まれた。
 俺が信ずるものは刀。俺の中の鬼は、それを形作ったのだ。
 奔流する殺意が理性を押し流し、露わになった俺の鬼性。それは急速に枝を伸ばしている。今は刀という力だけだが、いずれ人の血を欲するようになるのだろうか。人の肉を喰らうようになるのだろうか。それはいずれ考えよう。今は女を殺して生き残る、それだけだ――!


 剛刀一閃。二の戟を考えない、力任せの一戟。鬼の刀の具合を試すつもりで、女に全力を打ち込む。
 女はそれを受けた――受けさせる気で打ち込んだのだから、受けてもらわねば困る。爪と刀がぶつかる。
 激突の衝撃に女の身体は弾け飛んだ――いや、自身でも跳んでいる。女は狙い澄まして床に転がる自分の腕まで飛んで、それを傷口にすり合わせた。継ぎ目はなくなり、女の腕は元通りくっつく。その腕で腹に刺さったままの太刀を抜き取り、こちらに投げた。刀身に付いた血を飛沫にしながら、刀が飛んで来る。俺はそれを避けずに、宙空で真っ二つに斬り落として見せた。二つになった太刀が床に落ちる。
 鬼の刀の感想は、悪くない、だ。非の付け所がない。名刀業物に含まれるだろう。強度、切れ味、重さ、手応え、どれ一つ取っても俺の為にある刀だ。
 沸々と、胸の奥底からなにかが昇って来る。
「どうだい、鬼の力は?」
 女が聞いて来た。女も俺が刀の具合を量っているのに気付いたのだろう。
「教えねェよ、てめェの身体で確かめな」
「ふふふ、そうさせてもらうわ」
 鬼性は俺の感覚も鋭敏化したようだ。
 炎の拡がりを寸分違わず感じることが出来る。
 外で聞こえる雨音が一滴一滴聞き分けられる。
 女の顔が前より良く見える。女の顔――怯えている。舌なめずりしながら笑っているが、瞳の奥底では怯えている。
 にやり。
 俺の顔にも笑みが浮かぶ。
 殺し合いが、楽しくなって来た。


 炎は盛大に拡がっていた。
 炎の中で鬼神像が揺らいでいる。首と鍋も炎の中だろう。
 煙が鬱陶しい。鬼に目覚めてから煙を吸っても平気だったが、不快感は残っていた。身は鬼、心は人ということか。いや、魂が呪われたということは心も鬼では?そもそも鬼とはなんなのだ?……とにかく不快には違いない、煙の少ない方へと移動する――無造作に歩いて。それに対して女は後ずさる。どうしても俺の間合いには入りたくないらしい。
「くくく、どうした?なにを用心している?」
「易々と殺されたら勿体ないだろう?分かってるんだよ、あたしだって伊達に長く鬼をやっていないさ――あンた、まだなにか隠しているね?」
「なんだ、気付いてたのか?」
 ばれていたらしょうがない。俺は懐に手を突っ込むと、胴から二本の刀を『引きずり出した』。指と指の間に柄を握り、片手に三本の刀を構える。
「その通りこの通り、俺の刀は無限だ。鍛冶屋いらずってな……これ、なにで出来ているんだろうなぁ?」
 俺の身体の中から生まれ出ずる刀だけど、俺の血肉で出来ているわけではない。俺の身体が減った様子はないし、そもそも血肉で刀は作れない。
「さぁね。鬼を人の理の内で考えるなかれよ」
「なるほど、違いねェ……では、そろそろ始めるぞ!」
 言い放ち、振り被った左腕を勢い良く下ろした。三本の刀は俺の手より放たれて――女に躱された刀は、その背後にある柱に刺さった。
「そんなものは当たらんよ!」
 女の言葉は無視して、再び三本抜刀――今度は違う柱を狙って投げる。
「――――ッ!?あンた、どこをどこを狙って――?」
「分からねェか?」
 三度抜刀する。
「柱を壊しているんだよ」
 また違う柱を狙って投げる。刺さる。
 ギシィイイイイ――――
 刀が刺さった柱が、軋み始めた。一つの柱につき三本の刀が並んで刺さっている。それは実質、大刀に斬り裂かれたのと同じ破壊だ。破壊された柱はその任に耐えられず軋み始め――
「あンた、まさかこの家を――?」
「いい趣向だろう?」
 今は刺さった刀が重みを支えている状態だ。刀がなくなったら柱は折れて、鬼の棲み家は崩れるだろう。そして俺には己の身体を操るが如く、それが出来る……
「さぁ、土俵替えだ――!」
 俺はそれぞれの柱に刺さった都合九本の刀全てを『消した』。霧に溶けるように刀は消え失せる……この刀は鉄でも躯でもない、俺の『意志』で出来ている!
 ギシィイイイイイイイイイイイイイイイイ――――!!
 刀による支えを失って、一段と高く柱が軋んだ。もうすぐ折れようという音だ。
「ちィ――ッ!」
 舌打ちすると、女は髪を天井へと伸ばして跳んだ。女の髪による高速立体移動は、髪が巻き付く物がなければ成し得ない。その為にはこの家のような密室空間が最適だ。それが今、開放されようとしている。女は焦っている――それが可愛らしく思えた。だからと言って女の好きにさせるつもりはない。せっかく舞台を整えようとしているのだ、その前に決着が付いたら勿体無い――俺は嫌がらせのように次々と抜刀・投擲を繰り返して女の行く手を邪魔をして、その間に逃れる。
「このォ、ちょこまかと――!」
「はははははははは、どうしたどうしたァ!?」
「貴様ァアアアアアアアア!!」
「はははははははははははははははは!!」
 命懸けの追いかけっこはしばらく続いた。苛立ち、焦る女の動きは精彩を欠いて容易くその手から逃れられた。やがて――
 崩壊が始まった。

 柱が砕けた家の崩壊は押し潰されるように――実際、自重に押し潰されて――一気だった。
 形を留めて落下する天井を斬り払い、あるいは余分の刀を突き立てて障壁にして決壊に耐える。
 そして耐え切って――


 ザァアアアアアアアアアアアアアアアア――――

 相変わらず土砂降る雨と、相変わらず厚い雲。風に流され見る見る雲模様は変わり続けるが、雲が晴れることはない。月も星も照らせない、真っ暗だ。
 ――長い、夜だ。
 この夜はいつまで続くのか。この夜は俺が『死んだ』夜から続いているのか。……生きていればまた陽も昇るだろう。今は生き残れ。あの女を殺せ。だけど肝心の女の姿が見当たらねェ。
 瓦解した鬼の棲家。瓦礫の上に立ち、女の姿を探す。闇は深く、音が頼りだ。雨の音の隙間に耳を傾ける。逆に自分が音を立てないようにも注意する。俺は雨に打たれる一体の柱像だ。手にあった刀は再び体内に納刀している。女の位置が近ければ一本抜刀から居合い斬り、遠ければ三本抜刀から投擲する算段だ。さぁ、どこだ、出て来い……!


 瓦礫が動いた。
 自然に崩れ動いたのではない、地下から打ち上げられた女の髪に弾かれたのだ――女は地下に潜んでいる!四方八方から次々と女の髪が現れた。
 この髪は触手だ。本体は隠れたまま視覚でなく触覚で索敵して、触れた獲物を絞め殺す。一方的な女の有利だ。本来、家を崩したのは蜘蛛の巣のように髪を張らせないためだったのだが……問題は女が隠れてしまったことだ。心当たりはある。倒れた蝋燭で燃えた床――あそこが焼け落ちていれば、潜ることも可能だ。
 周囲を女の髪に囲まれる。動けない。動けば聴覚で捉えられる。瓦礫だらけで無音で動くことは難しい。だけどいつかはばれる。どうする?……どうする!?
 ――っても、これしか手はねェか。
 俺は結局、自ら動くことを選んだ。
 抜刀して、吠える。
「来い、俺はここだァアアアアアアアア!!」
 そして手当たり次第に髪を斬り刻む。
 女の髪が反応した。前後左右上下――全方位から女の髪が伸びて来る。俺はそのことごとくを斬り払いながら駆ける。
 一際大きな影が俺に迫る。影の正体は瓦礫だった――髪の先に瓦礫が巻かれている。俺はそれを真っ二つに斬り裂いた――が、真っ二つになった瓦礫はそのまま慣性で飛んで俺にぶち当たった。
「――――ッ!!」
 衝撃で体勢が崩れる。その隙に女の髪が全身に巻き付く。最初の時の再現だ。今度は逃さずこのまま絞め殺すつもりだろうが、そうはさせねェ――!
「うおォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
 全身の至る所から刀を出す。腕、腹、背、脚、首――至る所から刀の柄が現れる。髪は柄に引っ掛かって絞めることが出来ない――殺せない。
 俺は動けない。だが女は――
 俺の正面にある瓦礫の山が崩れて、中から女が現れた。女にはもう一つ凶器が――爪がある。
 この機を逃さず俺を突き殺すつもりだ。
「掛かったね、これで――終いよ!」
 女は飛び掛かりながら、爪で心臓を狙っている。
 勝利を確信しているのだろう。だが――
「掛かったのはてめェだァ、ようやく穴蔵から出て来やがったな!」
「――――ッ!?」
 ――罠に掛かったのは女の方だ。餌に喰らい付いたのは女の方だ。俺は全身からもう一度刀を出す――ただし、刀身の方を。刀は髪を斬り裂いて俺は自由の身となる。そして抜刀、女の爪を弾き返す。
 女は慌てて飛び退いた。だけどもう逃げ場はない――俺は女の姿を捉えた。
「堪え性がなくていけねェなァ?おぼこじゃあるめェし――くくく。もう、逃がさねェぜ」


 俺と女は、なかなか動かなかった。
 次の激突は『必殺』になる……迂闊には動けない。

 ドォン――!!

 閃光と轟音。
 神鳴りと、二人が動いたのは同時だった。
 俺は独楽のようにその場でぐるりと回転、遠心力に引っ張られて数多の刀が抜け飛ぶ――女の方へと。
 女は再び髪を伸ばす。刀の届かない所――足元を狙って、蛇のように地を伝って髪が伸びて来る。
 三本の刀が女の首、肩、胸に突き刺さった。女の顔が苦痛に歪む。が、死にはしない。すぐさま刀を抜き棄てる。
 女の髪は俺の右脚を締め潰して、千切れた足首が転がった。が、倒れない。傷口から刀を生やして身体を支える。
「……ッ!」
「……ッ!」
 言葉はない。食い縛った歯から漏れる音はない。
 迷いはない。止まらない。
 俺は左脚で地を蹴る。右脚から生えた刀が瓦礫を『蹴散らす』ならぬ『斬り散らす』。
 女は爪を構えて、迎撃の姿勢になる。
 ガキィイイン――!!
 爪と刀がぶつかる。五指を揃えて諸刃の刀を形成した爪は、十字の形に刀を受け止めた。それを一気に押し開いて、肩から腹――袈裟懸けに女を斬る。吹き出る血。
 ――勝機!
 俺は返す刀を振るおうとする。が、女の方が速かった。女は自らの手で傷口を割って拡げた――勢いを増して飛んだ血飛沫が、俺の左眼に入った。右眼を失くしていることが、ここで初めて不利になった……右眼があれば見えるのに!視野を塞がれ、俺の身体が一瞬硬直する。その隙を逃さず、女は俺の腹に右手を突き刺した。爪が背から貫通して、手首までが俺の体内に埋まる。
 そのまま内臓を引きずり出された。
「がァアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
 堪らず、叫んでしまう。その代わり、痛みが女の位置を教えてくれた。俺は女の腕を斬り落とす。
「くゥ――ッ!」
 確かな手応え――女の肘から先が落ちる。二度目の右腕切断。俺と同じ、左腕だけになる。
 支えを失って、はみ出た臓物がだらりとぶら下がる。
 戦いは止まらない。臓物をぶら下げたまま、俺は次の一戟に備える。瞼を、意志の力で無理矢理開く。血塗られた眼球で女を見る。
「おォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
「うあァアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
 女と俺、咆哮しながら、互いの心臓に得物を突き立てる。
 俺は逆手に持った刀を。女は残された左手の爪を。それぞれ、根元まで突き立てている。
 二人の動きが止まる。
「あンた、強いね」
 と、女が言った。睦言に似て、甘い口調で。
「満足、出来そう」
「そうか」
「あたしは、どうだった?」
「……こんな出会いじゃなけりゃあ、口説いてた」
 俺の言葉に、女は笑った。
「あはは、そっちじゃないよ。殺し合いの方」
「ふン。……強かった」
「そっか。良かった……ありがとう」
「じゃあ、そろそろ――」
「うん」

「――死ね」

 俺は突き立てた刀を、そのまま振り下ろした。股まで女の身体が裂ける。
 俺の胸に刺さった爪は、心臓から生やした刀によって押し返された。心臓だけではない、肘、肩、背、脚――身体中から刀身が現れる。その全てで女の身体を斬り刻む。斬って斬って斬りまくって――血煙の舞う中で、女の身体は細切れにされる。

 ぼとぼとぼと――

 肉片が積もって、

 ぐちゃ――

 その上に、無傷の頭部が落ちた。
 ふわり、と遅れて髪が落下する。
 顔は仰向けに。
 屍片に彩られたその顔は、まるで花のように……
終章
 ザァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――

 土砂降りの雨音が聞こえる部屋の中、二人の男が向かい合っていた。
 共に坐して、赤い酒を口にしている。
 酒を勧める男には、右腕と右眼がない。その男が、口を開いた。
「実は、頼みがあるンだがな……」
「なんだ?命を助けられた礼だ、出来ることはなんでもするぞ」
 応じる男の首筋には、二つの傷痕があった。虫に刺されたというより、獣に噛まれたような――

「俺と、殺し合いをして欲しいンだよ」

 そう言う隻眼隻腕の男の顔には、禍々しい笑みが浮かんでいた。


 斯くて鬼は継がれる。
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