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レッスン6
 オクタゴンの金網が下りていく。お兄ちゃんが沙耶さんのからだを担いで、地下闘技場のすみに、そっと寝かした。わたしはそれを、ずっと突っ立ったまま眺めていた。
「いい試合だったな」
 お兄ちゃんがいった。
「うん」
「自分のために戦えたか?」
「うん。ごめん。お兄ちゃんのこと忘れていた」
「それでいい。そうじゃなきゃいけない。もし俺が敵になったらどうする?」
「お兄ちゃんが、敵?」
「一応、俺は監督者として雇われているが、選手として指名されたら拒否できる立場じゃない。そんときゃ全力で相手を叩き潰す。たとえ相手がるかでもな。そうなったとき、るかは、すんなりと負けるつもりか?」
「それは嫌。お兄ちゃんと戦うのも嫌だけど」
「それでいい。というわけれで次、レッスン6は俺と練習試合だ」
「ええっ!」
「いまからな」
「え、うそ、ちょっと待って。だってわたし、さっき沙耶さんと試合を終えたばかりで、本当に疲れ果てていて、いまからだなんて、そんな」
「本番は待ったなしだぜ。たとえ前日の試合がどんなにハードでも次の日になったら、また試合に出なくちゃいけない。そして、その相手が、自分よりも強いやつかもしれない。そのとき自分の限界を超えることができるか、どうか、これはそういうレッスンだ」
 そういわれては、わたしにはいい返せない。確かに、選手としての生活が始まったら、どんなコンディションでも戦わないといけないのだろうし、自分より強いやつというなら、お兄ちゃんは恰好の相手だ。
 でも。
 自分の限界を超えても、お兄ちゃんに勝てるのだろうか。
 沙耶さんとの試合は自分の限界に挑んだという感触があった。それ以上、自分の限界を超えることができるのか、という不安もある。
 大体、限界を超えるってどうすればいいのさ。わたしはどうがんばってもわたしだ。それは沙耶さんとの試合で感じたことだ。わたしにできることは限られている。できないことをできるようになる、それが限界を超えるってことかなあと思うけど、けど、そんなこと、どうやって。
「せめて、ちょっとだけ休ませて」
 そのあいだに作戦を立てたい。お兄ちゃんに勝つための作戦を。
「いいぜ」
 お兄ちゃんは承諾してくれた。
 わたしは膝を折って、床に腰を下ろすと、ごろんと寝転がった。
「ねえ」
「なんだ」
「お兄ちゃんは、どうして戦い始めたの」
「それは復讐のためだって」
「そうじゃなくて。もっと最初。喧嘩とか、どうして戦うの?」
「むかつく相手がいた。だから、ぶん殴った。そんなもんじゃないのか?」
「そういうのが女の子にはわからないんだよね」
「そうか。まあ、そうなんだろうな」
「むかつくやつを殴っても、それでなんになるのさ?」
「楽しんだよ」
「楽しい?」
「男ってのは喧嘩が楽しくて楽しくてしょうがない馬鹿な生き物なんだ」
「わからない」
「喧嘩ほど単純明快なコミュニケーションはないからな。どっちが強いか、それだけをためす。しかも言い訳ができない。それがいい」
「話し合いじゃだめなの? 口喧嘩なら、まだわかるんだけど」
「まどろっこしいんだよなあ。本音と建て前とか、腹の探り合いとか、そういうめんどくさいことが一切ない。本気でぶつかり合えるから、むかつくやつと喧嘩しても、どこか楽しい。喧嘩を通じて友情が芽生えることだって、ごくたまにだけど、ほんとにあるんだぜ」
 あー、それはちょっとだけわかるかも。
 いまなら沙耶さんと、ちょっとだけ仲良くできそうな気がする。ちょっとだけ。あんまり自信はない。
 なんとなく喧嘩が楽しいというのはわかった。でも、
「あぶなくない?」
 わたし、あんなの何度も経験したくないけど。
「馬鹿な生き物だからな」
「あー、さいですか」
「それじゃあ、そろそろ始めてもいいか? 俺たちの喧嘩をよ」
「うん」
 わたしは床に手をつくと、ゆっくりと立ち上がった。
 拳を握り締める。よし。これなら戦える。
 どうせ、やるかやられるか。
 やるっきゃないんだ。
 やってやろーじゃないの。
 自分の限界、超えてみせる。

 リングの上に二人、対峙する。
 今度の相手はお兄ちゃん。
 強敵だ。はっきりいって、というかはっきりいわずとも、わたしより強いことは一目瞭然だ。どうやって戦うか。どうやって勝つか。わたしの足りない頭で考えに考え抜いた結論は、やってみなくちゃわからない、だった。とにかくわたしの持てるすべてを出し尽くすんだ。
 それから先のことは、そのときに考えればいい。そのときになるまでわからない。そのときがくるまで、ひたすらに、がむしゃらに、わたしの全力をぶつけ続けるんだ。
「ルールはさっきと同じ。ただし俺は投げ技や関節技を一切使わない。それは教えてないからな」
「打撃技だけね」
 わたしは確認する。これは大事なことだからだ。
「そうだ」
 お兄ちゃんは鷹揚に頷く。
「ほかになにか質問は?」
「手加減は?」
「明日に支障の出るような怪我はさせないつもりだ」
「つまり明日に支障の出ないような怪我ならさせるってこと?」
「そういうことだ」
「こっちはなんも気にしなくていいんだよね?」
「そんなこと気にしてる余裕はないぜ」
「わかってる。一応、確認」
 ということは、たとえば目ン玉を指で突くような攻撃も仕掛けていいということだ。それを実際にやるかどうかはともかくとして、フェイントとして織り交ぜることは許される。そういうことを確認した。
「ほかには?」
「ない、と思う」
「それじゃあ始めるか。ゴングはねえ。いつでもかかってこい」
 しん、と静まり返る。
 無音が合図。試合開始だ。
 お兄ちゃんは構えもしない。ただ突っ立っているだけだ。それがやりにくくてしょうがない。どういう反撃がくるのかわからなくて、いつでもかかってこいといわれたけど、どうにもしかけられない。
「こないなら、こっちからしかけるぜ」
 お兄ちゃんが動いた。
 散歩のつもりかのように揚々と歩いてくる。それがこわい。なにがくるかわからない。なにがくるか想像を働かせようとしても、肩も上下させないで歩いてくるし、タイミングが掴めない。ふつうに歩いているようで、ふつうじゃない。どういう歩き方だ。
 間合いに突入する。その瞬間、空気が変わった。
 くる。
 くる。
 きた!
 これまた大雑把に剛腕が振るわれる。まるでハンマーでも振り回すかのようだ。
 警戒していたおかげでお兄ちゃんの攻撃の出どころを察知できたわたしは、すばやく飛びのいて。
 後悔した。
 しまった。いまのは、わざとだ。わたしを誘うために、わざと大雑把な攻撃をしかけてきたんだ。そのチャンスを不意にしてしまった。わたしのばか!
 いいや、お兄ちゃんが、そんな優しい心遣いをするのものか。迂闊に飛び込んでいればどうなったことか。どっちだ。お兄ちゃんはどっちのつもりで、さっきの攻撃をしかけてきたのか。いや。もう過ぎたことだ。どうにもあたまがかたい。うまく先のことを考えられない。まだ緊張してしまっている。ちゃんと戦え。もっと吹っ切れてしまえ。
「うぉぉぉ!」
 叫ぶ。
 勢いに乗っていく。
 今度はわたしからしかける。
 真っ向勝負の掌底を打ち込む。
 まずはこれが通用するかどうか確かめてやる。
 お兄ちゃんはあっさりと掌底を打ち払った。
 だめか!
 でも、まだだ。まだわたしの勢いは続いている。続けざまに掌底を打ち込む。それも払われる。まるで相手にならない。そしてお兄ちゃんの反撃。壁がせり上がってくるような膝蹴りが放たれる。わたしは両手の肘で受け止めるが、肘ごと蹴り上げられ。からだが一瞬宙に浮いた。
 これが男と女の違い。体格の違い。こんな馬鹿力を真っ向から受け止めちゃいけない!
 お兄ちゃんの追撃。まっすぐに拳が打ち込まれる。どこに当たってもダメージを食らうことは必須。だったら、せめてダメージを軽減するために。そして距離を取るために。わたしはみずからうしろに飛んだ。もちろんガードは固めたうえで。
 滞空状態のわたしを拳が捉え、わたしのからだはおもいっきりうしろに弾き飛ばされる。
 距離が離れた。
「いまの、本気?」
「手加減はしてないぜ」
「そう、よかった」
 いまので手加減されていたら、どうやって戦えばいいんだか。
 さーて。
 頭を使わないと。

 力では太刀打ちできない。
 頭だ。
 頭を使わないと。
 どうやって隙を作るか。どうやって意表を突くか。そこが勝負どころだ。
 とりあえず思いつく急所といえば、まあ、やっぱり、あそこだよね。
 覚悟を決めて駆け出す。お兄ちゃんに向かって。
 今度はわたしから攻撃をしかける。いきなり金的を狙ってもだめだ。まずはフェイントを入れないと。とはいえ半端なフェイントではだめだ。お兄ちゃんの意識をそらせるに足るフェイントを入れないと。まずは目潰しだ。
 沙耶さんにされたように眼球狙って掌底を放つ。お兄ちゃんの意識が上に集中する。いまだ。
 金的を狙って膝を蹴り上げる。
 がつん。
 膝は壁に阻まれた。お兄ちゃんの膝が内側に閉じ、丸太のような太股によってわたしの蹴りは受け止められていた。
「基本だな。目潰しから金的へのコンビネーション」
「やっぱだめかー」
 攻撃に失敗しても、さほど驚きはしない。格上との戦いであることは承知の上だ。
 横手から殺気。視覚の外で第六感が働きわたしは反射的に屈んだ。頭上を旋風が通り過ぎる。
 お兄ちゃんの上段蹴りだった。まるで真横からくるような上段蹴りだった。あんなに足が高く、きれいに回るものなのか。こんな相手と戦っているのか。お兄ちゃんが強いことはわかっていたけど、その強さを知れば知るほど絶望的な気持ちになってくる。だめだ。あきらめるな。まだ戦いは始まったばかりなんだから。
「よく避けたな。それじゃあ、これはどうだ?」
 と。
 今度は下段蹴り。
 うっそ。この屈んだ体勢ではうしろに飛ぶことさえできない。もちろん受け止めるなんて論外だ。
 後退も、その場にとどまることもできない。そのときわたしが取った行動は直感的なもので、わたし自身、自分が信じられなかった。
 タックルだ。
 前方に飛び込む。お兄ちゃんの腰に組み付く。下段蹴りの内側に入り込み、そして片足状態だったお兄ちゃんを倒すことに成功した。そこから追撃することなく、すぐにお兄ちゃんから離れた。
 うまく、いった。
 なんとか下段蹴りを潰せた。
 追撃を控えたのは組み付いた状態での戦闘に自信がなかったからだ。あの状態ではしかけても、あっという間に返り討ちにされるおそれがあった。
 わたしには攻撃の手が、あまりにも少ない。
 どうする。
 どうやって攻める。
 これが限界を超えるという意味か。できないことをやらなくちゃ、わたしに勝ち目は、ない。
「よっこらせ」
 お兄ちゃんが埃を払いながら立ち上がる。
「どうしてしかけてこなかった?」
「別に」
 こわかったから、なんていえない。
「分をわきまえるのもいい判断だが、そのままじゃ勝てないぜ」
「なんとかするよ」
 なんとかする、としかいえない。こんなぎりぎりがいつまで続くのか。いつまでも保つはずがない、なんとかして手を打たないと。なんとかして。

 わたしの射程は短い。
 まず、お兄ちゃんの間合いの内側に飛び込む。
 それから、なんとかして隙を作って。
 なんとかってなんだ。
 そこが肝心なのに、まるで思いつかない。どれもこれもあっさりと防がれるイメージばかり浮かんでしまう。どうすればいい。どうすれば。
 思考が逃げ道を失った、そのとき、なぜか沙耶さんの姿が思い浮かんだ。あの狂ったファイトスタイルが。
 弱気になっちゃだめだ。たとえそれが無謀だろうが自棄だろうが、とにかくやるだけやってるんだ。
 沙耶さんのように。
 わたしは沙耶さんに勝ったのだから、わたしには彼女よりも強くなくちゃいけない責任がある。そんな責任あるのかどうかしらないけど、とにかく彼女に申し訳がつかないような無様な戦いはしたくないと思った。
「ッシャア!」
 気合いを入れ直して攻めに出る。
 まずはお兄ちゃんの間合いの内側に。
 それからのことは、それからだ。
 一気に距離を詰める。お兄ちゃんの拳が飛んでくるのを察知。三段跳びの要領でジグザグに曲がって攪乱しつつ接近する。
 お兄ちゃんは打ってこなかった。
 無駄弾を打って隙を作るようなことはしない、か。
 お兄ちゃんは、わたしを充分に引きつけてから迎撃する方針にしたらしく拳を腰溜めに構え直した。いーよ。その誘いに乗ってやろうじゃん。
 わたしの間合いに突入する。とっくにお兄ちゃんの間合いでもある。わたしの後の先を取ろうって腹なのか、お兄ちゃんは手を出そうとしない。
 チキンレースだ。
 ぎりぎりまで突っ込んでやる。
 四段目を跳んだ。
 もう掌底の間合いですらない。
 さらに五段目を跳んだ。
 体当たりするように肘ごと突っ込む。
 お兄ちゃんの手のひらに受け止められた。予想していたことだ。真上に飛ぶようにして頭突きを試みる。身長差があるのに、あえて頭突き、しかも顎を下から狙うかたち。お兄ちゃんの意表を突けないかと思ったけど、スウェーバックによってやすやすとかわされてしまった。
「お返しだ」
 スウェーバックから返ってきたお兄ちゃんの頭が振り下ろされる。ごつんと頭頂部に衝撃が打ち込まれる。
 く、首が折れる!
 たんこぶがどうのというレベルではない。あまりの痛さに動きがこわばった。
 次の瞬間、肩のうえから肘を叩き込まれた。たまらずわたしは吹っ飛ぶ。吹っ飛びながら悟っていた。お兄ちゃんは本当は肩を狙っていたのではない。腕だ。上腕部を狙っていたはずだ。肉の厚い肩よりも肉の薄い腕を狙って骨を折ろうとしていたはずだ。
 体格差にも利点はある。低い位置は狙いにくいんだ。これを利用しない手はない。ごろごろと転がって受け身を取りながら次の手を考え始めていた。
 立ち上がるとすぐさま駆け出す。
 頭頂部の痛みなんて無視だ、無視。
 超低空を這うように走る。お兄ちゃんのタックルのように。あれよりも、もっと低くをイメージして。
 そして低空から金的。
 と見せかけ腹部へ貫手を打ち込もうとするも、目の前に膝が迫っていることに気づき、横手に跳びざるをえなくなった。すんでのところで膝蹴りをを回避する。あっぶなぁー。
「体格を活かして低い位置から攻めるのはけっこうだが、注意しないと膝蹴りやローキックのえじきになるぜ」
 これもだめ、か。
 あきらめるものか。
 だったら。
 わたしは再び超低空を駆け出す。さらに今度はジグザグに曲がってフェイントを挟みながら。この体勢だとつらい機動だけど、体勢が危ういときは四つ足の獣のように手で床を蹴って、とにかく高速低空移動を保持する。
 けど。
 お兄ちゃんはローキックを放った。自分の言葉を証明するためか。ちくしょう。むかつくから避けてやる!
 ジグザグの機動を活かして斜めに跳ぶ。お兄ちゃんの真横まで移動してしまう。けど、この位置からなら!
 真横に貫手。腕を水平に抜き放つ。わき腹を狙って。
 当たる。けど、浅い。筋肉を押しただけだ。
 お兄ちゃんがからだの向きを変えて足を高く持ち上げる。
 かかと落とし。
 こんなの食らったらたまならない。わたしは反対方向に飛んで逃げる。直前までわたしのいた位置をギロチンのようなかかとが落ちていく。
 ああ、そっか。
 それを見て気付く。たたみかけが足りないんだ。すぐに逃げちゃうから決定打に至らない。もっと踏みとどまらないといけないんだ。
 いつまでも逃げ続けてはいられない。
 攻め続けなきゃ勝ち目はない。
 やるかやられるかだけど、やられることばかりおそれていては勝てっこない。やるっきゃないんだ。何度も何度も同じことばかり確認している気がするけど、これはたぶん、とても大事なこと。とても勇気がいるから、あるいは無謀かもしれないから、ついつい忘れてしまうけど、勝つためには絶対必要なこと。
 どんどん積極的になっていく自分がいる。
 戦いを楽しいと思っているのかどうか、それは自分でもわからない。
 けど、やるっきゃないということは、それだけはわかる。

 攻撃して反撃される。あるいは攻撃前に迎撃される。そのとき、やられることをおそれて逃げずに踏みとどまること。やることは決まった。さて、どうやったものか。
 逃げちゃいけない。つまり大きく飛びのく回避方法はアウト。
 受け止めることはできない。受け流すか、小さく飛んで間合いの外に出ないように回避するか、お兄ちゃんの攻撃の出かかりを潰してしまうか、いずれかの方法を採らなくちゃいけないということだ。
 どれもこれもぎりぎりの回避行動となる。
 もし体格が同程度であればラッシュを続けることによって反撃をさせない、という手段もあるのだけれど、なにせこの体格差だ。たとえラッシュをしかけても、ものともせずに反撃されてしまうだろう。
 レッスン1やレッスン2で戦ったヤンキーたちとは格が違う。あいつらは一撃でしとめることができたけど、お兄ちゃんの戦闘技術はわたしよりもはるかに高い上、体格差の利点を心得ている。うまくコンビネーションを繋げねばなるまい。
 やりにくいなあ、もう。
 だけど。
 とにかく。
 やらなくちゃ。
 意を決して地を蹴る。お兄ちゃんに接近する。お兄ちゃんが牽制のためにローキックを放つがジグザグの機動によって回避する。そしてわたしの間合いに突入する。ここからが勝負だ。
 おもいきり踏み込んでお兄ちゃんに肉迫する。わたしの腕はお兄ちゃんより短い。わたしの間合いはお兄ちゃんより狭い。だからお兄ちゃんの反撃を恐れ逃げることなく常にこの距離を保たなければいけない。
 逃げるな。
 踏み留まれ。
 ここが正念場だ。
 まずは貫手を放つ。お兄ちゃんに弾かれる。弾いたその腕でお兄ちゃんが殴りかかってくる。わたしはしゃがんでお兄ちゃんの拳を避け、その位置からお兄ちゃんの腹に貫手を打ち込む。腰も入ってないから大した威力はないけど、とにかく攻撃して攻撃して攻撃しまくるんだ。
「チッ」
 お兄ちゃんが舌打ちしながら膝蹴り。それを下に転がるように避け、お兄ちゃんの背後に回りこむ。そして振り返りざまに肘を打ち込む。ろくに狙いをつけないで勘だけで打ったから、どこに当たったかもわからない。
 お兄ちゃんの背中が動いた。わたしは考えるよりも先にガードを固めながらおもいきり低くしゃがんだ。
 頭の上を裏拳が薙いでいった。
 あぶなかった。
 だけどわたしは逃げていない。
 ここで踏み留まっている。
 裏拳を放つと同時、お兄ちゃんは振り返っていた。わたしは低くしゃがんだまま。お兄ちゃんと目が合う。
 お兄ちゃんがニタリと笑った。
 やばい。
 獣が牙を剥くような笑み。それを見た瞬間、反射的に逃げたくなったけど、ぎりぎりで踏み留まった。ここで逃げたら、だめだ。踏み留まって、戦わないことには、勝てないんだ。
 なにがくるかわからない。けど、だったら。
 出掛かりを潰す。
 わたしの飛び上がってお兄ちゃんの片足にタックルを仕掛けた。と同時、背中の上を拳が叩いた。
 肋骨、折れた?
 痛みより、それが気になった。もう痛いのかどうかわからない。とにかく夢中でお兄ちゃんの片足にしがみついて、そのまま押し倒そうとした、が。
 倒れない。
 まるで丸太にしがみついているようだ。
 どうしよう。どうしよう。どうしよう。
 迷っているうちにもう一発背中を叩かれた。さっきよりも強い。今度こそ折れたかもしれない。他人事のように思いながら、タックルは失敗したことを悟り、わたしは手を離した。このまましがみ続けていたら肋骨全部折られそうだ。
 と、お兄ちゃんが後方へ下がった。
 どうして。お兄ちゃんのほうが有利だったのに。
 だけどお兄ちゃんは逃げたのではなかった。
 そこから横手に飛ぶ。そこにあるのは金網。金網を蹴ってお兄ちゃんのからだが宙に飛ぶ。そして空中でからだをひねって回転、ムーンサルトキックが落下してきた。
 むちゃくちゃだ!
 わたしは、これはさすがに後退して逃げてしまった。真上から攻撃には度肝を抜かれてしまった。あの巨体でムーンサルトキックなんて、隕石が落ちてくるような、そんなインパクトだ。
「そろそろからだが温まってきたな」
 そういってお兄ちゃんがシャツを脱ぎ捨てた。シャツの下から現れたのは当然、裸の上半身だ。当然だ。けれどもそれを見てわたしは一歩あとずさってしまった。
 なにその筋肉。
 テレビで見る格闘家よりも引き締まっている。どこにも無駄がない。どういうトレーニングを積んだら、あんな筋肉が出来上がるんだ。はがねのかだらと、はがねのこころ。お兄ちゃんの戦いに対する覚悟が筋肉に現れていて、わたしをあとずらせたのだ。
 お兄ちゃんの左胸から首筋、頬にかけては燃え上がる炎のようなタトゥーが彫り込まれいた。まるで心臓の内に秘めた激情をかたちにしたようなファイヤパターン。復讐の話を思い出した。
 わたしは歯を食い縛った。
 気圧されるな。
 踏み留まれ。
 戦うしかないんだ。
 背中が熱い。
 肋骨は折れているのか折れていないのかわからないけど、どうやらまだ動けるようだ。じんじんと脈打つ熱が、それを教えてくれる。まだ動ける。だったら。やるかやられるか。お兄ちゃんがどんなに強くても。わたしは踏み留まって戦うまでだ。
「はしたない、女の子のまえで上半身裸なんて」
 わたしは言い捨てた。
 どうってことない。
 やってやる。

「シャツを脱いだからって!」
 強くなるの?
 実はとっても重いシャツで脱いだ途端、スピードアップとか、そんなのありえない。なにも変わらない。変わらないとわかっているのに。その叫び自体がわたしの恐れを如実に語っていた。
 だから、どうした。
 それでも戦うと、とっくのとうに決めてんだ。
 恐れを呑み込む。走る。お兄ちゃんに接近する。
 と。
 今度はお兄ちゃんも動いた。わたしに向かって走り出す。そして跳んだ。
「ッ!」
 空中回し蹴り。
 これもしゃがんでかわす、が。
 お兄ちゃんのからだが、さらに回る。そして後ろ回し蹴り。
「きゃぁ!」
 ガードした腕ごと吹っ飛ばされた。
 あんなことが、できるなんて。予測できなかった。もっと頭を使わなきゃ。お兄ちゃんの攻撃を予測しなきゃ、わたしなんて、あっという間に枯れ木のように砕かれてしまう。ごろごろと床を転がって受け身を取る。
 ガードした腕が熱を帯びている。吹っ飛ばされたおかげで、ある意味、衝撃を受け流すことができた。まともに受け止めていたら、きっと腕が折れていた。まだ骨が折れたことはないけれど、なんとなくわかる。お兄ちゃんの攻撃力はわたしの限界を超えている。
「どうした。まだまだいくぜ」
 よろよろと立ち上がったわたしに向かって再びお兄ちゃんが接近する。わたしを仕留めにかかるつもりか。さっきまでとはファイトスタイルが違う。本当に「温まって」きてエンジンに火が点いたかのようだ。
 ぶおんと風を切って拳が振るわれる。
 さっきまでより伸びてくる。
 避けきれない!
 がつんと側頭部に拳が突き刺さった。頭が割れて脳味噌が飛び出るような錯覚。意識がからだから離れて飛んでいってしまいそうになる。
 意識を繋ぎ止めろ! 踏み留まれ! 倒れるな!
 時間の感覚が一瞬喪失する。わたしのからだはいつの間にか傾いていた。
 一瞬、気を失っていた?
 踏ん張ろうとするけど力が入らない。膝から崩れ落ちそうになる。でも、まだだ。まだ倒れるわけにはいかない。わたしは勝つんだ。勝たなきゃいけないんだ。お兄ちゃんに、男に、わたしは、女の子は、勝たなくちゃいけないんだ。
 倒れるなら、せめて前に。前に出て。打つ。
 倒れがけながら掌底を打ち込もうとした。けれども、それよりも早く、お兄ちゃんの拳がわたしの顎を捉えていた。かつーんと小気味よく打ち上げられる。そして。
 意識が。
 途切れ。
 消え。
 失せ。
 だけど、そのとき。
 腕を走る不可視の衝撃。
 わたしの意識が闇から覚醒する。
 わたしの掌底は、わたしの意識が肉体から離れても、止まることなく、お兄ちゃんの顔面を打ち抜いていた。
「ぬぅ!」
 お兄ちゃんがうめく。
 まだ、お兄ちゃんも意識がある。無意識状態での掌底では通りきらなかったようだ。だけどおかげでわたしの意識は復活した。その手応えがわたしの意識を呼び覚ました。
「やるなあ、るか。さっきの一瞬飛んでたろ? 油断したぜ」
「女の子だから、ね」
 お互いに拳を掌底を相手の顎に顔面に添えたまま、会話。
「女の子だから、か」
「女の子は負けられないんだ」
「強いんだな」
「強くならくちゃいけないんでしょ?」
「大した生命力だ」
「覚悟さえ決めれば、きっとだれでも強くなれるんだよ。ううん。わたしは強くなんかない。ぜんぜん弱い。ただ負けられないだけ。それだけだよ、きっと」
「それだけか。いってくれるぜ。まったく。たまらねえや。その強さが妹にもあったら、なあ」
「ごめん、そんなつもりじゃ」
「褒めてンだ。おまえは大したやつだよ」
「えへ。ありがとう」
「それじゃあ」
「うん」
 そして二人、同時に離れる。
 おしゃべりしているあいだに随分回復した。
「いくぜ!」
 お兄ちゃんが怒涛の勢いでラッシュ。受け流すことはおろか避けることさえかなわない。わたしは必死にガードを固める。どんどん腕が熱くなる。
「どうした! それがおまえのいう覚悟か!」
 お兄ちゃんが怒鳴る。
「う、る、さ、い!」
 わたしはガードを固めたまま強引に突っ込む。お兄ちゃんの間合いの内側へ。
「甘い!」
 だけど、お兄ちゃんのラリアットが飛んできた。間合いの内側にあるものすべてをなぎ倒す剛腕に巻き込まれ、わたしは床のうえをごろごろと転がる。だけど、まだだ。まだいける。
 立ち上がると、すぐさま走り出す。そしてお兄ちゃんの膝を踏むように蹴る。間合いに入るか否かぎりぎりのラインだからお兄ちゃんは膝を踏み台にしても動けないと読んでいた。お兄ちゃんの膝を踏み台にして横に飛ぶ。横には金網。金網を蹴る。三角飛び。お兄ちゃんのムーンサルトキックを見て思いついた。これはどうだ。
 三角飛びから後頭部狙って蹴りを放つ。だけどお兄ちゃんはしゃがみこんでわたしの蹴りをあっさりと避けてみせた。
 諦めない! 畳み掛ける!
 お兄ちゃんのように後ろ回し蹴りに繋げることはできない。けど。わたしはお兄ちゃんの背中のうえに両足を揃えて着地する。そこから再びジャンプして金網の方向へ戻る。
 お兄ちゃんが振り返る。わたしは金網を蹴り返す。さっきよりも低い、しゃがんでも避けられない位置から飛び蹴り。
 わたしの全体重を乗せた飛び蹴りを、お兄ちゃんは蹴り足を逸らすことで受け流した。わたしは滑るように着地する。
「猫みたいなことしやがって」
 お兄ちゃんが驚いたようにいう。
「なんか、できちゃった」
「できちゃったの一言で済ませるのかよ。ったく。だけど、それじゃあ足りないぜ。腰の入った一発じゃねえと、この俺は倒せねえ。さあ、どうする? 限界を超えられるか?」
 お兄ちゃんの問い。それがレッスン6の根幹に関わっているのだと悟った。
 腰の入った一発じゃないと倒せない。だけどふつうにぶつかってもむり。だから奇襲を繰り返しているのだけど。そのせいでかるい攻撃になってしまっている。この矛盾を覆す答えは。
 奇襲以外の攻撃。正攻法。真正面から攻める。だけどそれは当たらない。それはなぜか。わたしの間合いが読まれているからだ。
 問題は間合いなのか。距離、速度、タイミング。
 距離、速度、タイミングを読まれている。それを変えられないのだろうか。距離は変えられない。タイミングは。タイミングを変えることはできそうで、できない。その距離と速度に最適のタイミングを変えたら調子外れの一撃になってしまうだけだ。
 速度は。
 速度は、どうだ。いまよりもっと速く打てないのだろうか。そうすればわたしの間合いが変わる。もっと速く、もっと鋭く、お兄ちゃんの読みを穿つことができれば。そうすれば腰の入った一発とやらでお兄ちゃんを倒すこともできるのではなかろうか。
 ああ、そっか。
 腰の入った一発だ。
 一発だ。
 それが答えだ。
 馬鹿馬鹿しいとしか思えない答え。だけどわたしの頭は、その答えに辿り着いてしまった。だったらやってみよう。やるだけの価値はある。わたしはお兄ちゃんの問いに答えることにした。

 もっと速く打ち込む。
 そのためには。
 たった一発にすべてを賭ける。後も先も考えない。たった一発に勝負を賭ける覚悟で打ち込むんだ。
 コンビネーションもくそもない。これまでのすべてと真逆の選択。馬鹿馬鹿しくて笑えてしまう。だけど、これしかない。もっと賢い方法もあるのかもしれない。けれどもわたしの頭では、これ以外の解答は思いつかなかった。
 腰を深く沈み込ませる。
 思えばいままで無我夢中で、一発の精度なんて考えもしなかった。もっと速く、もっと鋭く打ち込む余地は、ある。
 まっすぐ。
 きれいに。
 はやく。
 腰の入った一発を打ち込む。
「どうやらわかったようだな」
 お兄ちゃんがいう。
「相手の意表を突く最強の方法は自分の限界を超えることだ。限界以上の攻撃なんてだれも予測できない。相手の読みは外れ、たとえ格上の相手だろうが、なんだろうが、もろに一発当てることできれば、こっちの勝ちだ。それが真剣勝負だ。弱いやつが強いやつに勝つことだってできるんだ。俺に勝ってみせろ。るかの限界に付き合ってやる。おまえの底力、見せてみろや」
 わたしは精神を極限まで集中させる。
 つま先から指先まで。
 血管を。呼吸を。重心を。
 リズムを意識して。
 限界を超えるために。
 静かに、静かに、カウントダウン。
 十。
 九。
 八。
 七。
 六。
 五。
 四。
 三。
 二。
 一。
 ゼロ!
 かかとからつま先へ重心が移動する。つまさきで地面をえぐるように蹴る。ふくらはぎからふとももへ筋肉の解放が起こる。そのエネルギーは骨盤を通って背骨へと走る。と同時に弓引かれていた腕も動き始める。まだ速度は乗っていない。いまは緊張を緩めておく段階だ。お兄ちゃんに肉迫する。軸足をだんと踏み込む。反作用にふとももを緊張させて耐える。軸足は射出台だ。引き金は引かれた。逆の腕をうしろに引く。からだが軸を中心に回転する。その速度はすべて掌底に集中していく。いまが最高速度だ。そして速度、距離、タイミングのすべてが真骨頂の一発が、
「ぬるい!」
 お兄ちゃんの拳がみぞおちにめり込む。
「動きがかたい!」
「くッ、カハッ!」
 わたしは反吐をまき散らして倒れる。
「もっと力を抜け。からだの緊張を解放するんだ。まだ緊張が残っている。そんなんじゃだめだ。なにも変わらない。もっと貫くつもりで打ってみろ。さあ、こい」
 お兄ちゃんの声を反芻しながら、わたしは立ち上がる。
 反吐を袖でぬぐって、再び構える。
 呼吸を整える。全身のコントロールを意識する。もっと速く、もっと鋭く。わたしは一発の弾丸になるんだ。ただの一発の必殺だけが、わたしのするべきことだ。
 貫け。お兄ちゃんの意識を。魂を。命を。奪え。勝ち取れ。それがわたしのすべてだ。
 世界から音が消える。わたしの呼吸と、お兄ちゃんの呼吸。心臓の鼓動を、やけに鮮明に感じる。どくん、どくん、と全身を血流が走っている。
 お兄ちゃんの呼吸、心臓の鼓動、重心の微かな移動、そういったものが伝わってくる。わたしとお兄ちゃんだけの世界が繋がっていく。そのなかに一発を叩き込むんだ。
 細い線の上を一直線に走る弾丸をイメージする。その弾丸は、とても小さいけど、とっても速くて、なにもかも貫いてしまう威力を秘めているんだ。それはわたしの掌底だ。わたしはそれを打つんだ。
 カウントダウン。
 三。
 二。
 一。
 ゼロ!
 わたしの呼吸と鼓動、お兄ちゃんの呼吸と鼓動、そのリズムが合致する瞬間だけ現れる、とても細く頼りない線をなぞるように掌底を打ち込む。わたしのからだは自動的に動く。その先にある一点だけを目指し、すべてが合理的に機能する。わたしは一発の弾丸と化す。弾丸は後も先も考えない。今も考えない。相手を打ち貫くことだけを考える。わたしはそういうものになった。この一発こそがお兄ちゃんを打ち倒す一撃必殺と、
「ふぬけるな!」
 クロスカウンターとなってお兄ちゃんの拳がわたしの心臓をしたたかに打ち抜いた。心臓が止まりそうになってわたしはよろめく。目の前が暗くなる。こらえろ。まだだ。まだ、わたしは。
「そんな気合の入ってない一発で、この俺が倒せると思うな! 全力で打ち込め! 三度目の正直、仏の顔も三度までだ。次はこっちも本気の一発を打ち込むぜ。これで緊張感出るだろ。できなきゃ死ぬかもしれねえぜ?」
 ぐんとお兄ちゃんが腰を落とした。拳を腰溜めに構える。空手のような構え方。一発に集中していることがわかる。お兄ちゃんの間合いは狭くなっている。それに反比例してプレッシャーは強くなっている。これが。これが腰の入った一発ってやつか。
 負けるものか。
 打ち倒してやる。
 心臓の鼓動がどくんどくんどくんと強くなる。緊張している。違う。お兄ちゃんを打ち倒すために、そのためのエネルギーを引き出すために、わたしのエンジンはフル回転を始めているんだ。
 レッスン1のときといい、どうやらわたしは危機的状況に対面して、ようやく本気になれるようだ。なんて掛かりの遅いエンジンだ。もっと早く。もっと強く。わたしは心臓に念じる。
 やってやる。やってやる。やってやる。
 心臓の音に合わせて頭のなかが灼熱に染められていく。ほかのことを考える余裕がなくなっている。わたしのからだもこころも、この一発のためだけに。もっと速く。もっと鋭く。お兄ちゃんを打ち貫く。ただ一発の弾丸。一撃必殺。
 戦意が、闘志が、轟々と燃え上がっていく。
 なにもかも、すべて、この一発に。
 カウントダウンは、いらない!
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
 全力全開。緊張から解き放たれた筋肉が爆発する。つま先から掌底の打点に向かってからだじゅうのエネルギーが一点集中していく。わたしの鼓動、呼吸、命を乗せて。からだが、足が、腰が、腕が、なによりも速く、鋭く、穿つ、その一撃は、
「フンッ!」
 お兄ちゃんの呼気だけが、やけにはっきりと聞こえた。お兄ちゃんの拳が、わたしの顔面に叩き込まれていた。頬骨にがつんと当たった、その衝撃が、わたしの意識を消し飛ばそうとする。これまででもっとも強く、もっとも響く、お兄ちゃんの腰の入った一発を受けて、わたしは。わたしは。わたしは。
 まだ倒れない!
 だんと踏み込む。もはや衝動だけがからだを支配している。この一発を。この一発を当てるまで終わらない。なにがあっても一発を打ち込んでやる。それが覚悟というやつだ。たとえ骨を砕かれようと肉を裂かれようと血が流れようと意識を失おうと、そんなことで止まらない。わたしは一発を打ち込む。それだけがすべて。
 届け。
 届け。
 届け!
「う、ああ、あ、あぁああああああああああああああッ!」
 もうなにもわからない。目も見えない。音も聞こえない。からだの感覚は途切れた。それでもわたしは掌底を打とうとしているのだという確信だけがある。それさえあれば十分だ。こころだけで打ち込む。なにがなんだかわからなにのに、わたしは一発を打ち込んだ、それだけがわかって。
 線が繋がった。
 その線を伝って不可視の手応えが掌から脳天へと走った。当たったんだ。あとは通ったかどうか。やるだけのことはやった。これでお兄ちゃんを倒せなければ、もう。わたしのすべてを賭けた一発は、どうだった、お兄ちゃん?
「よく、やったな、るか」
 お兄ちゃんの声が聞こえた気がする。もうよくわからない。あたまのなかもくらくらのぐしゃぐしゃだ。
「レッスン6、クリア、だ。よくやった、な」
 そしてなにかが倒れた気配。
 倒したのか。
 勝ったのか。
 わからない。
 わたしは茫然と立ち尽くしていた。倒れる力さえ残っていなかった。だれかがちょっと触れてくれたら倒れることもできただろう。だけどだれもわたしに触れるものはいなかった。わたしは最後まで立ち続けた。
 最後まで立っている。だから勝ったのかな、わたし。
 最後まで立ち続けた者が勝者だ。
 それこそが勝利の証だった。
 わたしは勝ったんだ。
 それがわかると。
 限界を超えたからだとこころが、その役目を終えて。
 わたしは立ったまま気絶した。
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