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悪意と性欲と好意と絶望
「眠れない?」
 と、彼女が言った。
 午前三時半。
 あと一時間もすれば空が白み始める。
 床に入ってから四時間も、おれは眠れないでいた。
「また?」
 と、彼女は言った。
 真っ暗だから、彼女の顔は見えない。
 けど、言ってることはわかる。
 それがありがたかった。
「頼む」
 答えると、彼女は、おれの上に馬乗りになった。
「こっちのほうがやりやすいから」
 なんて言って。
 彼女の体臭が近付いて。
 彼女の指先が、おれの首に触れた。
「いつまでもこんなんじゃ、いけないよ」
「わかってる」
 わかってるけど、どうしようもない。
 彼女も、そんなこと、とっくのとうにわかってる。
 理性とか常識とか対面とか、そういうものが言わせてるだけ。
 そして、
「おやすみ」
 という彼女の声。
 機械的に首を絞められて。
 頸動脈を圧迫され、おれは眠りに落ちた。


 目が覚めると、彼女はいなかった。
 布団の中にはいなかった。
 家の中にはいた。
「おはよう」
「おはよう」
「朝ごはん、できてるよ」
「ん」
 と、おれは布団から起き上がる。
 彼女は台所で使用済みの包丁を洗っていた。
 テーブルにはトーストとベーコンエッグ、それからコーヒー。
 おれは、テーブルを素通りして、台所に入って、
「良い匂いだ」
 なんて言いながら、背後から、彼女を抱き締めてみた。
 暖かい抱擁ではない。
 いやらしく胸に触って。
 彼女に尻に腰をあてがって。
「やめて」
 と、彼女は言う。
 でも、おれは、決してやめない。
 耳を噛んで、ますます行為はエスカレートする。
 最低だ、と思う。
 おれは完全に勃起していた。
 彼女の尻に勃起した男性器を擦りつけた。
「包丁持ってるんだけど」
 と、彼女は言う。
 包丁持ってるから、危険だから、やめて、と。
 おれは、彼女から包丁を取り上げて、流しに放り込むと、
「ん」
 と、彼女の顎を引き寄せて、唇を奪った。
 舌先をねじ込んで、彼女の口腔を、強引に蹂躙する。
 スカートの下に手を差し込んで、下着の上から、指をなぞる。
 まるで強姦だ、と思う。
 まるでじゃなくて、その通りだ。
 そのまま彼女を押し倒して、おれは彼女を犯した。
「――――――」
 彼女は、いつも、そうだった。
 悪意と性欲をぶつけられてるというのに、いつも。
 手の届くところにあるとき、慈しむように、おれの頭を撫で続けた。


「どうして、薬を飲まないの?」
 朝ごはんを食べ終えると、彼女は、そう言った。
 おれは、コーヒーを飲んで、言葉を選んでから、ゆっくりと、
「薬を飲むと」
「うん」
「確かに、眠れるんだけど」
「うん」
「結局、根本的な解決にはならない」
 と、答えた。
 薬を飲んでも問題は解決しない。
 薬を飲めば眠れるけど。
 問題から目を背けてるみたいで。
 だから、おれは薬を飲むのをやめてしまった。
 すると、
「でも、その問題は解決しないんでしょう?」
 と、彼女は、痛いところを突いてきた。
“解決するの?”じゃなくて“解決しないんでしょう?”だ。
 彼女はストレートに痛いところを突いてくるけど、その痛みは心地よい痛みだ。
「そうだよな」
 と、おれは苦笑いを浮かべる。
 理解されるというのは心地よいことだ。
 たとえそれが、欠陥を指摘されるというカタチでも。
「それに」
 と、彼女は続ける。
「自傷行為は、かえって傷口を広げる」
「手首は切ってないけど?」
「首を絞めないと眠れないって、自傷行為以外の、何?」
 おれは、また苦笑いを浮かべる。
 彼女は、よくわかってる。
 本当に、痛いほど。
「だから薬を飲んだほうがいいと思う」
「でも、その薬を飲むってのも、おれにとっては自傷行為なんだ」
「そう」
 と、彼女は呟いて、
「じゃあ、どうすればいいんだろう」
 おれから目を逸らして、というかコーヒーに視線を移して、どうすればいいのか考える思案顔になった。
 その顔を見てると、悪意と性欲が鎌首をもたげるのがわかった。
 けど、いまは、そんなにテンションが高くない。
 だから、まだ抑えられる。まだ。
「………………」
 そして。
 おれのそういう部分を理解してくれている彼女にさえ、そういうことを考えてしまう自分を自覚して、自己嫌悪してしまう。
「とにかく」
 と、彼女は言った。
「もう、こんなことはやめないといけないから」
「おれのこと、嫌いになった?」
「違うよ」
 彼女は悲しそうに言った。
「君が、限界」


 次の日の朝、彼女は死んでいた。
 首を吊って死んでいた。
 天井からぶらさがった彼女を見て、ふと気付いた。
 限界だったのは彼女のほうだったのだと。
「………………」
 救いたがりは救われたがり。
 自分を助けて欲しいから他人を助ける。
 自分がそうしたように、だれかに自分を助けて欲しくて。
 きっと。
 彼女も、なにか問題を抱えていたのだ。
 おれを救うことができたら、自分も救われると思っていたのだろう。
 でも。
 彼女は絶望してしまった。
 おれを救うことができそうになかったから。
 自分もだれかに救われることはないと思ってしまったのだ。
「――――と」
 彼女を見上げる位置に腰を下ろす。
 救いたがりは救われたがり。
 おれにも、そういう部分はある。
 だから、この光景は、けっこう堪える。
 自分のせいでだれかが死んでいるという光景は、
「死にたくなるなあ」
 油断していた。
 彼女が、そこまで思い詰めていたなんて。
 彼女に依存しきって気付いてやることができなかった。
 彼女のことは嫌いではなかった。
 好意を抱いてさえいた。
 けど、おれは。
「死にたくなるなあ、本当」
 たとえば。
 好きな子に意地悪してしまうのは、よくある話。
 でも、その動機が二種類あるということは、実は、あまり知られていない。
 一般的に好きな子に意地悪してしまうのは、好きな子の気を惹きたくて、でも恥ずかしくて、意地悪なことをしてしまう、ということになっている。
 でも、もうひとつある。
 好意を計りかねて、好意を恐れて、あるいは悪意を恐れて、好意を計るために、あるいは、いっそ嫌われて悪意に固定するために、意地悪してしまうというパターンだ。おれはこっちだった。
「ったく」
 簡単に言えば、そういうことだが。
 相当拗らせてしまってるから厄介極まるのだ。
 寂しいから人に近付く。
 でも、ある程度仲良くなってしまうと。
 特に女性の場合、悪意と性欲が鎌首をもたげるのだ。
「寂しかった?」
 自分で言っておきながら笑ってしまう。
 寂しいなんて、おれみたいな人間が言っていい台詞ではない。
 自業自得なんだから。
 自分のせいで孤独になったんだから。
 寂しいから眠れないなんて、おれが言っていいことではない。
 だから、彼女に首を絞めてもらうことを望んだ。
 でも、その時、彼女は、どんな気持ちで首を絞めていたのだろう。
「言ってくれれば良かったのに」
 いまとなっては、もう、なにもわからない。なにも。
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