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第二章
 翌日の朝。
 昨日のような天気だった。
 しばらくはこんな天気が続きそうな快晴具合だ。
 まだ、朝は早い。
 部活動の朝錬でもないかぎり、こんな時間帯に登校する生徒はいない。普通は。
 そんな早朝、部活動にも委員会にも所属していない蒼馬刀冶は注意深く警戒しながら登校していた。
 刀冶は中肉中背、学生服を着崩してもいない、どこにでもいそうな普通の男子生徒。前髪が長く、表情は、ちょっと窺えない。
 一見普通の男子生徒だが、いまかれは「おれの背後に立つんじゃねぇ」ってくらい近寄りがたいオーラを発して、とある人物の襲撃を警戒しまくっていた。
「……氏家美咲、どこからくる……?」
 うーちゃんこと氏家美咲。
 美咲には自分より強い男と付き合いたいという奇妙な性癖があって、そのために強そうな男に片っ端から喧嘩を吹っ掛けて回ってる。
 現在、彼女の標的は刀冶である。ましてや昨夜、刀次の寄宿先まで押しかけてきたのだ。そこでは結局何事もなかったが、あれは、なにかの前触れではないのか。
 たとえば、あれは「オマエの家の前で待ち構えることだってできるんだぞ」とプレッシャーをかけることが目的だったのではないかとも考えられる。
 そう考えると自然、今日の登校は最大限の注意を払わなければいけないものとなった。
「……ここにはいないな」
 ゆっくりと通学路を上って、校門を抜けて、中庭まで辿り着いた。
 見晴らしの良い中庭に美咲の姿がないことを確認すると、しばらく立ち止まって休憩した。
 下駄箱は一番警戒しなければいけない場所だ。
 遮蔽物が多いため身を隠す場所に困らない。
 自分が彼女の立場だったら下駄箱で襲う。
「……よし」
 だが、いつまでも立ち止まっていられない。
 気合を入れ直し下駄箱を目指して歩き始める。
 校舎に侵入する。
(どこだ?)
 下駄箱に着く。
(どこからくる?)
 靴を脱ぐ。
(くるならこい、どうした!)
 上靴を取る。
(それとも、俺の予想を覆す奇策が……ッ!)
 上靴を履こうとして、
「……ン? なんだこれ?」
 上靴の中に一枚の封筒を発見した。
 赤いハートのシールで丁寧に封をしてある。
 一見、ラブレターのようである。というかラブレターに見えなかったら何に見えるのか。どこからどう見てもラブレター以外何物にも見えなかったが、
「怪しい……ッ! めちゃくちゃ怪しいだろ、このタイミングで……ッ!」
 美咲に追い詰めれられ物事を素直に受け取れない可哀想な精神状態の刀冶には、とてもそうは見えなかった。
 疑心暗鬼の彼が導き出した予想は、
「さては果たし状ッ! 果たし状かッ! 決闘でも申し込むつもりか、氏家美咲ィ――――――ッ!」
 バリッと勢い良く封を開ける。
 ラブレターを開けるような気合の入れ方ではない。
 怪人二十面相から届いた封筒を開ける刑事のような切羽詰まった気合の入れようだ。
 そして封筒の中に入っていた便箋を抜刀するように抜き出し、折りたたまれた状態から解放、上から下に一気に読み抜く。読み抜いた。読み抜いた、が――


    蒼馬刀冶様へ

      逃げるが勝ち。わたしの負けです。
      わたしと付き合ってください。
      よろしくお願いします。

                       氏家美咲


 ――さて、これはなんだ。
 何度も何度も文面を確認してみた。
 縦読みやアナグラム、乱数表を利用した暗号解読、試しに「た」を抜いて読んだりしてみたけど全然暗号らしきものは見つからなかった。
 今日はエイプリルフールではないしエイプリルフールの日付が変わったなんてニュースも聞いたことがない。
 氏家美咲をかたる馬鹿はいないだろう。そんなもんバレたらどうなるか。もしも彼女がキレたら撲殺されてしまいそうだ。
 では、これはなんだ。
 このラブレターにしか見えなものは何なんだ。
 どっからどう見ても氏家美咲本人からのラブレターだ。
「………………はい?」
 刀冶は人生初のラブレターとにらめっこしたまま思考停止していたのだった。


 登校する生徒が一人、また一人。
 教室には生徒の姿が増え始めていた。
 部活動の朝練を終え教室に戻ってくる生徒もいる。
 そんな中、蒼馬刀冶は机の上に頬杖を突いて、教室に入ってくる生徒を一人一人観察していた。
 クラスメイトのほか、よその教室の生徒も、かれらの友達に会うために、この教室にやってくる。
 その中にショートボブの女性生徒の姿を発見すると、刀冶の心はざわついたが、いずれも刀冶が気にしている女子生徒本人ではなかった。
「……チッ」
 刀冶は、警戒しているつもりだった。警戒しているつもりだったが、その実、頭の中は考えることに必死で、だから背後から近寄るクラスメイトの気配に気付くこともできず、
「――だーれだ?」
 視界が暗くなった。
 目隠しだ。
 ――ブォ!
 刀冶は反射的に裏拳を放とうとしてしまった。
 命中の直前、違う、と気付いてからギリギリで止めることに成功した。裏拳は相手の目の前で止まって、風圧で、彼女の前髪がそよいでた。
「び、びっくりした……っ」
「朝っぱらから脅かすなよ、吉井」
 吉井優歌。
 刀冶のクラスメイト。
 かつ、うーちゃんこと氏家美咲の友人。
 優歌は茶髪で、校則違反にならない程度に肩まで髪を伸ばしており、ナチュラルメイクだが化粧もしているから、いかにも最近の若者という風体だ。
 美咲の一件がなければ挨拶を交わすだけの関係だった。その彼女が、こんな上機嫌で刀冶に絡のだから、それはもう美咲関係と疑って間違いない。
「で、どうすんの?」
「知ってんだ、やっぱ」
「当然。元々、本当はアレを渡すために昨日は蒼馬んちに行ったんだから。ちょーっと手違いがあって渡しそびれちゃったけど。どうすんのどうすんの?」
 刀冶は深く深くため息をついた。
 言い逃れる言葉を考える時間を稼ぐためだ。
 だが、結局上手い言葉を見つけることはできなかった。
「どうするって言われても」
「あんないい子、いまどきいないよ? 断っちゃうの?」
「そりゃ、まあ、そうなんだろうけど」
「断ったら泣いちゃうだろうなぁー、可哀想だなぁー」
 他人の恋話に首を突っ込みたがる最近の若者そのものだった。いや、どの時代も女という性は他人の恋話に首を突っ込みたがるものだ。
「………………」
 刀冶は、考える。
 ショートボブの快活な印象で女子生徒。髪も染めておらず、体も引き締まっており、いかにもスポーツ少女といった風体だ。
 手のひらにテーピングを巻いていることさえ目をつむれば十分可愛い部類に入る。というより校内でも指折りの美少女だ。
「ちょっと、聞いてんの? 読んだんでしょ? 答えなさいよ、だれにも言わないから。言っちゃえ言っちゃえ。はいかイエス、どっち?」
「なんだその二択ッ」
「蒼馬、今、彼女いないんでしょ? だったら何も迷うことないじゃん? 私が保証するから。とっても良い子なんだから。お願いだから、うーちゃんと付き合ってあげてよ」
 お願い、されてしまった。
 どうやらラブレターは本物だったようだ。
 優歌は、これでけっこう友達想いの少女でもあった。
「あの子、このままだと一生彼氏できないかもしれない。蒼馬が逃げ切れたのは奇跡みたいなもんだと私は思ってる。いや、そうじゃなくて、この出会いが奇跡」
 美咲には自分より強い男と付き合いたいという奇妙な性癖があって、そのために強い男に片っ端から喧嘩を吹っ掛けて回っている。
 いまのところ全戦全勝、無敗伝説更新中、付いた二つ名は「番長」「道場破り」「百人斬り」。下手をすれば一生男性と付き合えないのも、ありえないとも言えなかった。
「蒼馬が“逃げるが勝ち”って言っていたって教えてあげたら、あの子、嬉しそうに笑ったんだから。あの子だって、きっと、こんなことやめたいはず。きっかけさえあれば」
 逃げるが勝ち。
 深く考えて言った言葉ではなかった。
 逃げなきゃ戦って負ける、それだけの言葉だった。
「別れてもいい。だから、あの子にチャンスをちょうだい。ふつーの女の子になれるチャンスを。だから、お願い、うーちゃんと付き合ってよ、蒼馬」
「………………熱弁中、悪いんだけど」
「なに? なにか聞きたいことがある? なんでも聞いて、うーちゃんのスリーサイズでもなんでも教えてあげちゃうから! うーちゃんのスリーサイズは上から――」
「声がでかい」
「え?」
「声がでかい」
 熱中するあまり、優歌は、声が大きくなっていた。
 クラスメイトの注目を集めまくっている。
 優歌の顔が赤くなる。
 シーン、と教室が静まり返り、
「――ぃよっしゃぁぁぁああああああああッ!」
 歓声が上がった。
 主に運動部に所属する男子生徒から。
 美咲に喧嘩を吹っ掛けられてはボコられていた面々だ。
「よくやった、蒼馬!」
「これで百人斬りに怯えなくて済む!」
「だが絶対、彼女を泣かせるんじゃないぞ!」
 女子は女子で、興味がない振りをしつつ、教室から出ていった。おそらく、というか絶対、美咲本人に問い質すつもりだ。
 優歌は「やっちゃったぁぁぁ――――――っ!」と悲鳴を上げながら便所へ逃げ去った。どうして女子はなにかあるとすぐ便所へ行くのか、それが刀冶にはわからない。
「………………」
 クラスメイトの男子生徒に囲まれて背中を叩かれたり囃し立てられたりしながらも、刀冶は、まだ考えていた。
 はいかいいえを。


 昼休み。
 まだ、美咲は姿を現さなかった。
 授業の合間の休み時間も現れなかった。
 昨日、一日中、追っかけられた。
 不安になるのは門違いというものだ。
 刀冶は自分に、そう言い聞かせることにした。
 椅子から立ち上がるとクラスメイトが刀冶を引き止めようとしてきた。
「オイ、どこいくんだよ?」
「メシ」
「メシくらい分けてやるから、こっちこいよー」
「だが断る」
 購買か学食、どちらにするかは決めていない。
 いずれにせよ教室でネタにされるよりはマシだった。
 途中、廊下で優歌とすれ違った。
「あっ、蒼馬、うーちゃん見てない?」
「見てないけど」
「授業も出てないみたいなんだよね。朝はいたんだけど。うーちゃん、どこにいるんだろう」
「バラしちゃったからじゃないの?」
「……それは言わないで。でも、それも違う。教室に来ていないんだって。朝からずっと。私、下駄箱の前でうーちゃんと別れたんだけど」
「見付けたら教える」
「教えなくていいから、うーちゃんと付き合ってあげて。きっとうーちゃんも怖いんだと思う。答えを聞くの。あの子、人生初の告白だったんだって」
「…………」
「それじゃよろしくねー」
 と、優歌は言うだけ言って美咲探しに戻って行った。
 朝から調子が狂わされっぱなしだ。
 あの、ラブレターのせいで。
「――俺だって人生初だっつーの」
 我知らず愚痴っていた。
 昨日のほうがマシなくらいだった。
 そう思った瞬間、刀冶は答えの糸口を見付けた。


 放課後。
 美咲は姿を消したままだった。
 結局、優歌にも美咲を見付けることはできなかった。
 部活動へ行く生徒、委員会へ行く生徒、家に帰る生徒、友達の家に寄る生徒、駅前に寄っていく生徒。教室から人波が引いていく。
「蒼馬、帰るの?」
 刀冶も教室から出て行こうとした。
 その背中に声が掛かった。
 優歌だ。
「ああ、帰る」
「うーちゃんは?」
 それは、なにを聞きたいのか。
 美咲を探すのか、と聞きたいのか。
 美咲に何と答えるのか、と聞きたいのか。
 刀冶にはわからなかった。
 だが、どっちでも同じことだった。
 刀冶の答えは、ひとつしかなかった。
 一日考えて決まった答えだ。
「アイツ次第だ」
 本人の口から聞かないことには始まらない。
 あんな短い文章では全然分からない。
 ラブレターよりも、本人の口だ。
 そして刀冶には探してやるつもりはなかった。
 昨日、一日中、追っかけ回したくせに。
 最後まで自分で出てこい。
 段々、怒りにも似た感情が芽生え始めていた。
 中途半端な美咲の態度が気に食わない。
 期待が外れたかのような失望感。
「でも、あの子、蒼馬に告白して――!」
「これでも俺は評価してんだよ、氏神美咲を。強いって。まともにやりあって勝てっこねーって。それが、なんだ、この様は。最後までかかってこいってんだ」
「うーちゃんだって女の子なんよ? ちょっと、それはひどくない?」
「ファイトスタイルにはソイツの人格が現れる。俺は直接手合わせしてねーけど。アイツのファイトスタイルは見ていて爽快だったんだよ。ああいうのは好きだよ」
「…………」
「こんなの全然、面白くねーよ。その程度だったのかよって。まともにぶつかってくるアイツは、けっこう好きだったんだけど」
「だったら――!」
「でも、こんなのは全然駄目だ。つまんねーから付き合いくたねーよ。この程度の女だったら興味はない。断る」
 優歌は、なにか言い返そうとした。
 だが、くちごもってしまって。
 そして苦笑した。
「うーちゃんと似たようなこと言うんだね」
「どこが?」
「強い人は心も強いんだって、あの子。強いか弱いかわからないけど面白い。よくわからないけど負けちゃった。だから蒼馬と付き合いたいって、そう言っていた」
「逃げるが勝ちって負け犬の遠吠えみたいなもんだと思うんだけど。まさか鵜呑みにするとは……」
「うーちゃんがそう思ってんだから、それでいいんじゃない? それじゃ、さっき言っていたこと、うーちゃんにメールしておくね」
「ちょっと待てェェェ――――ッ! どういう流れでそういう話になるッ!」
 刀冶は全力で焦った。
 ヤバいことも言ってしまった気がする。
 かかってこいとかけっこう好きとか、かなりヤバい。
「だって私、恋する乙女の味方だしィー?」
 優歌はニタニタと笑いながら携帯電話を抜き取った。
 そして数瞬後、一秒にも満たないと思われる速さで、
 ――ピラリラリーン。
 メールの送信が成功したことを告げた音が響いた。
「早ェェェ――――ッ! 早ェーよッ! いつの間に打ったんだよッ!」
「女子高生を甘く見ちゃいけないですにゃん」
「にゃんってなんだよ、にゃんって……」
「にゃははは! それにしても蒼馬って、やっぱり強いんじゃないの? うーちゃんと同じこと言うってことは、やっぱ強そう」
「……だったら、たったいま、その俺に勝ったオマエが最強だよ……もうオマエが付き合っちまえよ……」
 頭の痛くなる思いだった。
 刀冶は片手で額を押さえた。
 だから、優歌がなぜか顔を赤らめて「だ、だめ、私とうーちゃんは、絶対駄目なんだから……っ!」とか呟いてることに気付かなかった。
「そ、それじゃ、私は帰るねっ!」
 優歌は鞄を掴んで慌てたように教室から出ていった。
「お、おう、おつかれさん」
「また明日にゃーん!」
 にゃーん、と語尾が教室に木霊した。
 刀冶は首を傾げた。
「にゃんって気に入ったのか、アイツ……?」


 夜。
 夕餉を終えた時間帯。
 蒼馬刀冶はデスクで書類仕事に取り組んでいた。
 神城探偵事務所のアルバイトである。
 所長の神城月子に代わって書類を片付ける。
 根気さえあれば高校生にもできる簡単な仕事だった。
 刀冶は黒いスウェットに着替えていた。刀冶と月子はイトコの関係で、その縁で現在事務所に寄宿している。アルバイトというより家事手伝いでリラックスしてやっていた。
「刀冶、手が遅いぞー?」
 月子は刀冶が書類を片付けている間、電話していた。
 彼女は書類の整理などは苦手だが、それだけでアルバイトを雇うほど懐事情に余裕はない。電話していたのも探偵の仕事のためだ。
 とにかく探偵の仕事は地道な労力が必要なのだ。あちこちに根回しするだけでも一苦労。人手も時間も足りないからアルバイトを雇わざるを得なかった。
 と、いうことになっている。建前上は。
 本音の部分はどうだか知らない。
 正直、疑わしかった。
「今日は量が多いから」
 電話の合間に月子は仕上がった書類に目を通し、必要な個所にサインを記入したり、印鑑を押したりする。
 刀冶の今日の仕事は、いつもよりペースが遅かった。
 月子はんーとしばらく逡巡してから電話を置んだ。
 そして刀冶の背後に回り込んで頭を抱き寄せ、
「なにか悩み事? 青少年の悩みといえば恋の悩みっしょ、お姉さんに聞かせてみー?」
「月子さん、煙草臭いって」
「動揺してるなー?」
 んふふ、と月子はおかしそうに笑った。
 がしがしと頭を撫でられる。というかこねくり回される。
 歳は秘密、赤茶色に染めたロングストレートの髪の隙間から縁無眼鏡が覗き、唇には常時煙草をくわえている。不健康そうなのに、その唇だけ妙に赤い。
「ツッコミが普通過ぎ。いつもなら減らず口を叩くのに。らしくないじゃん。ひょっとしてマジで恋? マジ恋? とうとう刀冶にも春がきた? きちゃった?」
「そんなんじゃないって。邪魔だから離れて。まだ書類残ってるから」
「なにさ、ケチ。恋話聞かせろよー。私の恋話も聞かせるからさー。このまえさー、いい男がいたんだけどさー、そいつ彼女持ちだったから自棄酒してさー」
「それただの自棄酒! 恋話って言わない!」
「んじゃどういうのが恋話なのさ! 言ってみ? 聞かせてみ? 聞かせろよー、もう! ケチ! 刀冶のケチ!」
 ぐいぐい、と三角絞めで刀冶の首を絞めてくる。
 月子はスキンシップが多かった。
 乱暴ではあるものの。
 男物の灰色のスーツはくたびれている。ワインレッドのネクタイまでよれよれだ。けれども刀冶にしてみれば年上のお姉さんなので対処に困るところだった。色々と。
「ひょっとして、このまえきた子? 春高の番長っしょ?」
「知ってんのか?」
「当然。探偵をナメちゃだめよー。バンテージを見れば気付くって。つーか、あんだけ派手に暴れ回ってんだから嫌でも耳に入ってくるって」
 しかも、これだ。
 普段はやさぐれてるくせに。
 ふと、油断ならない瞬間がある。
「ついでに言うと、刀冶が追っかけ回されてることも、ちゃーんと耳に入ってきてるんだからねー? ひょっとして勝負受けちゃって勝っちゃった?」
「いや、逃げ続けてる」
「ふーん。まあいいや。ねーねー、あの子、例の件、手伝ってもらえないかなー?」
「いや、いやいやいやいや。それって待てよ。まさか直接乗り込むつもり?」
「そのほうが手っ取り早いじゃん? バイト代、出すからさ」
「頭悪過ぎだろ、それ……」
「なに? もっと大人になれって? 殺す」
 ぎゅーっと首を絞める手が強くなる。
 背中に胸が当たってるが、それどころではない。
「ぎ、ギブギブギブ! 極まってる! マジで極まってる!」
 そのまま刀冶が落ちそうになったとき、
 ――コンコン。
 と探偵事務所の戸を叩くノックの音があった。
「ン? 刀冶、出て」
「ったく、さっきまで首絞めてたくせに。はーい、どちらさまでしょうか?」
 月子から解放された刀冶がドアを開けにいく。
 ガチャリ、とドアを開くと、
「――えへへ、来ちゃった」
 そこには氏家美咲が制服姿で立っていた。
 刀冶に浮かんだ笑みは、苦笑というか、何というか。
 とにかく刀冶は笑って出迎えた。
「いいぜ。入んな」
「うん、ありがとう。お邪魔しまーす」
「え、なになに? きた? きちゃった? おいでおいで、こっちおいでよ! お姉さんとお話しようよー!」
「月子さん、あっちの部屋使わせてもらうから」
「スルー! スルーされたーっ! 私も混ぜろーっ! 混ぜろよぉー!」
 月子を無視して刀冶は奥の部屋に美咲を案内する。
 邪魔が入らないように内側から鍵を掛ける。
 まだ月子がわめいてるのが聞こえた。
 正直、ウザかった。
「若者だけでお楽しみ? ズルいぞ刀冶! 私だって心は十代っ! 永遠の十四歳だっ! 私も混ぜろーっ! 寂しいじゃないかーっ! 寂しいよぉぉぉ………………」


 神城探偵事務所のプライベートルーム。
 入って右手には台所と風呂と便所、正面にはクローゼット、左手にはシングルベッドが二つ並んでいる。
 巨大な本棚も置いてあって、そこにはファイルやアルバム、実用書、教科書、漫画、小説、等々、統一間なく沢山の本が詰まっている。
「何の用だと聞くのは野暮ってもんか――」
 刀治はベッドを顎で示し、
「また、そのへんに座ってくれ」
「うん」
 昨日と同じ位置関係。
 刀治は壁にもたれかかって美咲はベッドの上に座る。だが刀治が立ったままなのは警戒というより緊張によるところが大きかった、無意識的な行動にせよ。
 美咲もまた緊張していた。
 刀治は緊張を隠していたが美咲は緊張が一目瞭然。刀治を直視できず、俯いて、だけど時折上目遣いで見て、また俯いての繰り返しで時間が過ぎた。
「――刀治っ! 私は酒買ってくるからっ! あとは若者同士好きにしろ、ちくしょーっ!」
 月子の涙声が静寂を破り、バン! と乱暴に事務所から出ていく音が響いた。
 刀治と美咲を気遣ったかのような行動だが、単純に自棄になってるとも取れる。
「ハァ……」
「ふふ。おもしろいひとだね」
 刀治は苦笑し、美咲は微笑えんだ。
 気遣いにせよ自棄にせよ、おかげで緊張がほぐれた。
「一緒に住んでるこっちはたまんねーよ」
「そう?」
「昔はもっと、なんつーか、まともで。静かで。落ち着いていて。推理小説を読むのが好きで。だから安心してここに住まわせてもらうことにしたんだけど――」
「けど?」
「久々に再会したら、ごらんのアリサマだ。すっかりやさぐれて。まったく、なにがあったか知らねーけど、いい迷惑だ」
「そういう人が好きなの?」
「ン?」
「静かで、落ち着いていて、本を読むのが好きな、そういう人が好きなの、刀治くんは?」
 美咲は不安そうな顔で見上げてる。
 なにがどう不安なのか露骨に分かりやすい。
 自分は刀治の好きなタイプから懸け離れてるのではないか、という不安が言葉にも表情にも表れている。本人はさりげなく聞いてるつもりかもしれないが丸分かりだった。
「違う」
 刀治は本心を告げる。
「まあ、憧れてはいた。あんな大人になりたいと思ってた。いまではあんな大人になりたくない第一位だけど」
「よかったぁ」
 美咲は心底安堵して笑顔を浮かべた。
 ここまで――
 ここまであからさまな反応をされると否が応でも本題に入らざるを得ない。このタイミングで切り出さないで、いつ切り出すのか。
「それで――」
 刀治は覚悟を決めた。
「――あの、手紙のことだけど」
「……読んでくれた?」
「……はい」
「………………」
「………………」
 再び、沈黙。
 さっきの沈黙より気まずい。
 ラブレターを再確認してしまったのだから。
 刀治は落ち着かなく重心を預ける脚を入れ替えて、美咲は組んだ指と、脚を、もじもじさせている。ついでに言えば顔が赤い。
 優歌には威勢良く言ったものの、刀治だって、こういうシチュエーションは初めてなのだ。かくも年相応の緊張を隠せないのは無理のないことだった。
「刀治くん」
 今度は美咲が覚悟を決め、
「わたしと――」
「待った」
「え?」
 だが、最後まで言わせてもらえなかった。
 告白させたくないとも取れる行為。
 当然、不安にもなる。
「だめなの……?」
「いや、そうじゃなくて」
 待ったをかけたことに罪悪感があるのだろう。
 刀治は申し訳なさそうだった。
「どうして、俺なんだ? ろくに話したこともねーだろ?」
「それは、だって、わたし、負けたから」
「逃げるが勝ちか」
「うん」
「あのなー」
 刀治は頭をボリボリと掻いた。
 負けるが勝ちは深い意味を込めた言葉ではない。
 美咲が重く受け止めてることが歯痒くて仕方がなかった。
「負け犬の遠吠えみたいなもんだぞ、あれは。つーか俺は勝負の勝ち負けなんて大したことないと思ってる。たとえば人質を取られて負けても、それでも納得できるってのか?」
 刀治の問いは春原高校の全校生徒が抱いてる疑問。
 卑怯な手段で負けても付き合うのか?
 美咲の答えは単純だった。
「そんな人とは付き合いたくない」
「だったら、どうして勝ち負けにこだわる? つーか逃げるが勝ちでいいのか、本当に?」
「勝たなきゃ何の意味もないよ? 強くなっても、勝てなければ、負けてしまったら、目的達成できないよ?」
 美咲は、さも当然そうに答えた。
 これだけ聞くと、まるで武道の教えに反してる。
 体を鍛えることを通して心を鍛える。
 それこそ武道の目的。
「逃げるが勝ちって、つまり生き残るってことでしょ? それは目的達成してるよ、ちゃんと。だから全然矛盾してないよ。とっても面白い勝ち方だよ」
 だが、美咲の考え方は、武道のそれとは異なった。
 戦場で生き残るための考え方だ。
 ある意味、究極的。
 実戦において、もっとも正しい考え方だ。
 美咲は、実戦的な意味では正しい。
「………………」
 刀治は、しかし歪みに気付いてしまった。
 美咲は卑怯な手段で負けても、そんな人とは付き合いたくないと言った。つまり精神的な強さ、正々堂々と戦う心の強さを重視してることになる。
 だが、勝つことを、たとえ生き残ることであろうとも勝つことを重視してるということは実戦的な強さ、ひいては卑怯な手段もアリだと言ってるようなものだ。
「だから、わたし、刀治くんのことが好きになったの。こんな人と付き合ってみたいって。こういう負け方だったら納得できるって。だから――」
 歪みに気付いてしまった。
 だから、まだ。
「――わたしと、付き合ってください」


「………………」
「………………」
 三度目の沈黙が流れる。
 刀治には答えることができなかった。
 数分前までなら「はい」と答えていたかもしれない。
 だけど今、美咲の歪みに気付いてしまった。この歪みが、どのような弊害をもたらすのか。その危険性を見極めることができないせいだった。
 ひょっとしたら、なにも問題ないのかもしれない。このまま付き合ってしまえば、優歌の言うように、そんなこだわりなんて忘れてしまうのかもしれない。
 目の前にいるのは、その凶悪性にさえ目を瞑ってしまえば校内屈指の美少女である。まだ好きとか嫌いとか言える段階ではないが、そういうのは付き合ってから考えてもいい。
 それに彼女のファイトスタイルは魅力的だった。ああいう戦い方をする人間と付き合うのも面白そうだと思っていた。損得勘定でも好奇心でも「はい」と答えるほうに傾いていたのだ。
「………………」
「………………」
 だけど今。
 この歪みは計り知れない。
 はいかいいえ、なんと答えるべきか。
「あの……」
 上目遣いで刀治の顔を覗き込む。
 眉は八の字に垂れ下がり、瞳は潤んでいる。
 どこをどう見ても告白を待ち望む美少女そのものだ。
「…………っ」
 罪悪感が募り「はい」と答えてしまいたくなる。
 数分前まで「はい」と答えていいと思っていのだ。
 だったら「はい」と答えてしまえと囁く衝動がある。
 だが、理性がそれに待ったを掛けている。
 この歪みを知ってなお「はい」と答えていいものか。
 格闘技だ喧嘩だと言い方を変えたところで、その行為の正体は暴力。圧倒的な暴力と対決する展開なんてご免被りたい。まともにやりあって勝てっこない相手なのだから。
「俺は――」
 刀治は、なにかを言おうとした。なにかを。
 はいかいいえではなく、ただの時間稼ぎを。
 だが、その時、乱入者の声がどこからともなく、
「なーにを迷ってるかな、チェリーボーイ? 据え膳食わぬは男の恥って知らない? 男になっちゃいなよ? あーもうまどろこっしいなァ――ッ!」
「この声は――ッ」
「と、刀治くんっ! 窓っ! 窓にでっかいゴキブリ――っ!」
 美咲が窓を指す。
 巨大な影が窓に張り付いていた。
 人間大のゴキブリに見えなくもないシルエットだ。
「付き合っちゃえよォォォ、おまえらもう付き合っちゃえよォォォ――ッ! はいって言っちゃえよ、刀治ィィィ――ッ!」
 窓に人間が張り付いていた。
 事務所の外に行っていたはずの月子だった。
「アンタ、妖怪か――――――ッ!」
「だれが妖怪だって? 妖怪ババアだって? 殺す」
「だれもそんなこと言ってねえ――――――ッ!」
 ガラララ、とポルターガイスト現象のように窓が開く。
 そこからカサカサと侵入した月子は、窓辺から、
「刀治ぃぃぃ! せっかく二人っきりにしてやったのに、なにをつまんないことしてんだぁぁぁぁぁぁぁ!」
 ゴキブリのように飛翔した。
 ゴキブリが人に向かって飛んでくる、あの現象の再現である。
 月子は窓辺から、ベッドの上を飛び越えて、壁際の刀治に向かって飛んだ。つまりベッドに座ってる美咲の頭の上を飛び越える軌道で、
「いやぁぁぁ、妖怪ゴキブリぃぃぃ――――――っ!」
 美咲は、まだゴキブリだと勘違いしている。
 しかも妖怪ゴキブリである。
 ――ゴパッ!
 と、空気を裂くどころか空気を砕くような音と共にアッパーカットが放たれた。座った姿勢から片膝を立てて、おもいっきり飛び上がって、頭の上のゴキブリを打ち落とすために。
「ゴファッ」
 美咲の拳が、月子の腹に、めり込んだ。
 混乱した状態から放たれたアッパーカットだったため、顎も打ち抜けず、みぞおちを射抜くにも至らなかったが、それでも充分破壊力の込められた一撃だった。
 潰れたゴキブリのように、いや、空飛ぶゴキブリが撃ち落とされる光景なんてお目にかかったことはないが、とにかく、そんなイメージで月子は落下した。
「え? きゃぁぁぁぁぁぁ――――――っ!」
 アッパーカットで打ち落とされたのだから、月子が落下するのは当然、アッパーカットを放った張本人の上である。
 美咲は、そこまで考えていなかったらしい。
 ――ボフッ、ギシィ。
 落下の衝撃でベッドが軋みを上げた。
 月子は、美咲を下敷きにしていた。
 覆い被さるような体勢である。
「……あれ? え? 刀治くんの、えーと……月子さん……?」
「……さすが春原最強、イイパンチだったよ……」
 そして美咲は、ようやくゴキブリの正体が月子だと気付いたようだった。
「ご、ごめんなさいっ! わたしてっきり妖怪ゴキブリだと思ってっ! 全然気付かなくてっ!」
「謝らなくていい。いまのは全部月子さんが悪い」
「……刀治、随分冷たいね……? あんな大人になりたいって言ってくれたのに……」
「――チッ。聞いていたのか。でもいまはこんな大人になりたくない第一位だ」
「美咲ちゃぁぁぁん、刀治が冷たいよぉぉぉぉぉぉ」
「わたしっ? ど、どうしよう、刀治くんたすけてー!」
 刀治は見て見ぬ振りをした。
 まったく、油断も隙もないひとだ。
 一旦外に出ると見せかけ、まさか窓から盗聴していたとは。
(つーか、ウザい)
 本当、無駄な行動力である。
 労力を惜しまないという意味では探偵らしいと言える。好意的解釈をすればだが。
「月子さん、部屋から出てって。いますぐに」
「えー」
「えーじゃない」
 イトコの告白場面を、そんなに見たいのだろうか。
 きっと、見たいのだろう。そういうひとだ。
 刀治は本音を言うことにした。
「ウザいから出てって」
「ウザいってぇぇぇ! ウザいって言われたぁぁぁ!」
 月子はがっくりと項垂れた。
 マウントポジションの状態で項垂れたのだ。
 当然、月子と美咲の顔はキスできそうなくらい急接近する。
「こぉぉぉんな美味しそうな子が目の前にいるのに――」
「ふぇ……? つ、月子さん……?」
 月子が舌なめずりした。
 美咲は身の危険を察知したらしく、
「は、恥ずかしいから……そんなに見ないでください……」
 だけど決して抵抗しない。
 美咲は「怪我したら危ないから」という理由で、こういう状況では絶対に抵抗しない。それでいて冷静を装うでもなく普通に恥ずかしがる。ますます相手を増長させる悪循環だ。
「……ヤバイ、ゾクゾクしてきた」
「……あーあ」
 刀治は眉間を押さえた。
 月子の悪い癖だ。
 彼女を部屋から追い出すことは諦めざるを得なかった。
 こうなってしまっては告白どころではない。
 大体、彼女は刀治より強いのだ。
「ねえ、私も、うーちゃんって呼んでいい?」
「い、いいですけど……?」
「ンふふ。うーちゃん。うーちゃん。かあいいなぁ」
「な、ななな、なにをする気ですかっ」
「大丈夫、痛くしないから。痛くても最初だけだから。すぐに気持ち良くなるから。お姉さんに任せなさい? ね? いいよね? かわいいんだからいいよね?」
 美咲の両手をホールドして、耳元で、月子は囁いた。
 化粧と煙草の匂い。そして熱っぽい吐息。
 いいもわるいもやる気満々だった。
「と、刀治くんっ! たすけてーっ!」
「俺も必死で逃げたけど、だれかさんは追いかけ回すのやめてくれたかったんだよなー」
「ごめんなさいーっ! だからたすけてーっ!」
「ほーら、あんな朴念仁より、お姉さんといいことしましょ?」
「あ、だめっ、それとっちゃだめぇ……っ」
 月子は両腕を使えないかわり、口を使って、美咲のネクタイを外しに掛かった。
「ふぁ……」
 くすぐったそうに美咲は身悶える。だけど抵抗しない。
 羞恥に頬を染めながら、だけど抵抗しない。
 見ようによっては、まるで誘ってる。
「――ン」
 ネクタイを外し終えた月子は、それを脇に捨てた。
 そして次は舌も使ってボタンを外し始める。
 湿った吐息が首元に当たって、
「い、やぁ……なに、するんですかぁ……んんっ」
 そのたんびにピクピクと美咲は震える。
 中途半端に焦らされるような。
 くすぐったいような感覚。
「――っと。ふふふ、やっぱ若い子の肌はきれいだわー」
 やがてボタンも外れて美咲の首元が露わになる。
 まだ肉付きの良さでは月子に劣る。
 少女の体だ。
 けれども瑞々しい素肌は、それだけで健康的な色気を発してる。心臓の鼓動に合わせて胸が上下する。まだ色を知らない純白の肢体。
「どれ、味見」
「ひゃっ! そんな……ンっ! な、舐めないでぇ……」
「汗の味がするねー? ここまで走ってきたぁ?」
「――だめだめだめっ! 舐めちゃ……うぁ……汚いから……だめぇ……ん……舐めないでぇ……」
 美咲は、すっかり赤くなっている。
 羞恥心を煽りながら、月子は、行為を続ける。
 美咲の意に反して、彼女の肌は上気し、汗を浮かべ始める。
「んー、ちょっとこれ邪魔」
「ああっ!」
 一瞬の早業。
 美咲の腕をホールドしていた手を離し、片方の手でホックを外すと、もう片方の手を制服の下に忍び込ませて、あっとういう間にブラジャーを抜き取ってしまった。ちなみに色は白だ。
「返してっ! 返してくださいっ!」
「暴れると、刀治に、見えちゃうよぉ?」
「――――――っ」
 月子が制服の下に手を入れたせいで、制服は、まくれそうになっている。その下には、もう、なにも身に付けていない。もしも、もしも完全にまくれてしまったら――
 美咲はおとなしくなった、というより固まってしまった。
 混乱と羞恥で湯気が出そうなくらい真っ赤だ。
 泣きそうになりながら、
「刀治くん、見ないでぇ、お願いだから……っ!」
「お……おう……」
 とは言ったものの刀治はちらちらと横目で見ていた。
 これを見るなというほうが無理な相談だ。
 なにせノーブラだ、ノーブラ。
「それじゃ、こっちも取っちゃお」
 美咲の意識が刀治に逸れた、その隙に、月子の指がスカートの下に潜った。
「だ、だめっ! そっちはもっとだめっ!」
「ほーら、暴れない、暴れない」
「あ、あ、あ……だめぇ……ぜったいだめぇ……!」
 美咲の哀願も空しく、月子の指が、ショーツの裾に掛かった。
 そのまま、ゆっくりと、ゆっくりと指が下がっていく。
 刀治にスカートの下が見えはしないが、そのゆっくりとした速度が、かえって羞恥心を煽っていた。
「刀治くぅん……見ないでね……? 見えていないよね……?」
「あ、ああ、見てないし、見えていないから」
 見ていなければ見えてるかどうかもわからないはず。
 そんなことにも気付かないほど美咲は追い詰められていた。
「――よっと」
 膝まで引き下げたショーツから手を抜き取り、かわりに膝を持ち上げてつま先に引っかけて、最後まで下ろしきった。こっちもブラジャーと同じく色は白だ。
「さーて、お次は、どうしようかしらん?」
 にっこりと月子は笑った。
 捕食者の笑み。
「もう、恥ずかしいのは、いやぁ……っ」
「そんなこと言ってぇ、本当は好きなんじゃないのぉ?」
「ち、違います……っ」
「だって、ほら、こんなに――」
 月子の指が、つぅーと太股を撫でる、下から上に。
 そして再びスカートの下に潜り込んで、
「――こんなにあったかくなってるよぉ?」
「ち、違いますっ! それは違うんですっ!」
「じゃあ、見られるのが好き? 刀治に見られてるから?」
「そういうわけじゃなくて……っ」
「じゃあ、刀治のこと嫌い?」
「あ、いや、そうじゃなくて……あっ! ん……っ! 指、らめぇ……やめてぇ……それ、らめなのぉ……!」
「じゃあ、好き? 見られるの好き?」
「す、好きです……好きだからぁ……もう、らめてぇ……」
「ふーん、見られるのが好きなんだぁ? うーちゃんっていやらしい子なんだぁ?」
「ち、ちが……んっ……! ちがうからぁ……わたし、ちがうからぁ……っ!」
「もう、どっちなのぉ? 見られるの好き? 嫌い?」
「ん、んん――――――っ!」
 そのとき、美咲の腰が浮いた。
 あやうくスカートが持ち上がりそうになる。
 ただし、肝心の部分は、月子の手に隠れて見えなかった。
「わ、わたし……見られるの……見られるの好きだからぁ……もうやめてぇ……もう、ら、だめだからぁ……」
「えー、どうして? 見られるの好きなんでしょ?」
「え、だって、わたし、言ったのに……」
「だれもやめるなんて言ってないでしょー?」
 と、そこで。
 月子は体を持ち上げて、刀治のほうに振り返った。
 してやったりというニタニタした笑みを浮かべながら、
「どーするぅ、刀治ィ? この子は見られていてもいーんだって。だから私のことなんて気にしないで。さっさと返事してあげなさいな、返事」
「……チッ」
 どういう理屈だ、と言い返したい。
 けれども屁理屈で勝てる相手ではなかった。
 言い返したら言い返したらで、また無茶を言うだろう。
「もしも断るんだったら、それともまーだ返事を保留するつもりだったら、このまま私が美味しくいただいちゃうよー?」
「あー、わかったわかった」
 刀治は観念して、
「氏家美咲」
「ほぇ……?」
「答えは“はい”だ」
「え……なにが……?」
「だーかーらー」
 頭をグシャグシャと掻いた。
 月子がチェシャ猫みたいに笑ってた。
 きっと、なにかろくでもないことを考えてる。
(ったく)
 人生初の告白が、こんなことになってしまった。
 平穏無事な人生を目指してたのに、どうしてこうなった。
「オマエと付き合うって言ってんの」
 美咲は数秒間、静止していた。
 頭が切り替わらなかったのだろう。
 だが、やがて、表情に生気が満ち始め、
「本当? 本当に本当? 付き合ってくれるの?」
「ああ、本当だよ、ちくしょう」
「やったぁぁぁぁぁぁ――――――っ!」
 ベッドから飛び降りて刀治に抱きついた。
「あちがとう、ありがとうっ! 刀治くぅん!」
「ちょ、おま、ノーブラだろっ! 抱きつくなっ!」
「ねぇねぇ、刀治くんも、うーちゃんて呼んで欲しいなっ!」
「頼むからひとの話を聞けっ!」
「お熱いねー、お二人さん。ヒューヒュー」
「くそやかましいッ!」
「ねぇねぇ、うーちゃんって呼んでっ!」
「わかったっ! わかったから抱きつくなーっ!」
「おーい、そのまま3Pしようぜ、3P!」
「アンタには一生彼氏ができない呪いを掛けてやるっ!」
「なに? 売れ残って彼氏できないって? 殺す」
「ねぇってばーっ!」
「あーもうなんなんだよこれ、俺がなにかしたのかーっ!」
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